「自分へと向かうラブストーリー」があってもいい 『ハーフ・オブ・イット』の知性溢れる魅力
そうして映画は、それぞれの存在が影響し合いながら変化してゆく姿を描き出していく。とりわけエリーがポールに行う「レッスン」風景は、愛と努力のもとに彼らの成長をコミカルに伝えるが、そのなかでエリーがアスターとキスをした経緯について、彼女の意思はあったのかとポールに問いかける場面がある。本作がティーン向けの映画であることに鑑みても、エリーが事前の同意について疑問を呈するのは、一つ特筆すべきことであるように思われる。それにもかかわらず、終盤でエリー自身がアスターに突然キスをするのは、この物語が投げかけていた合意の問題の重要性を損なわせてしまっているのではないだろうか。女性から男性へ事前の同意がなかったことに懸念が示されていたことを前提とすれば、する側が女性の場合や同性同士の場合には、それが軽視されてもいいと捉えられかねないおそれもある。さらに、アスターは自身の容姿が綺麗であることを自覚しており、周囲から一方的に何かをされることや、自分のなさへの悩みを打ち明けてもいる。エリーのその行為は、ひいてはアスターの主体性の問題にまで加担してしまっているとも言える。映画では、たった一つのアクションが映画そのものの価値や主題を大きく揺るがしてしまうことがある。この点は、本作において決して見過ごすべきではないだろう。
しかしながら、『ハーフ・オブ・イット』が監督自身の実体験を一つの下地としているように、彼女の作品にはいつも本物の感情の強度がある。だからこそ私たちは映画の彼らの心情に寄り添うことができるのだろう。『素顔の私を見つめて….』では主人公の母親の結婚式場が、『ハーフ・オブ・イット』ではイースター礼拝を行う教会がそうであったように、一堂に会する場所が彼らにとって本心を吐露する舞台となるのは、アリス・ウーお馴染みのプロットである。エリー、ポール、アスターの三角関係も、そこを「山場」として結末に近づいていく。恋が成就して結ばれることを大団円とする「誰かへと向かうラブストーリー」ではなく、こんな「自分へと向かうラブストーリー」があってもいい。自分の言葉で人生を語り始めるとき、面白くなるのはそれからなのだから。
■児玉美月
映画執筆家。大学院でトランスジェンダー映画の修士論文を執筆。「リアルサウンド」「映画芸術」「キネマ旬報」など、ウェブや雑誌で映画批評活動を行う。Twitter
■配信情報
『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』
Netflixにて配信中