『コタキ兄弟と四苦八苦』はなぜ“懐かしい”のか 野木亜紀子の脚本と山下敦弘の演出の相性の良さ
『コタキ兄弟と四苦八苦』はテレビ東京系のドラマ24(金曜深夜0時12分~)で放送されている深夜ドラマだ。主人公は無職のコタキ兄弟。長男の一路(古舘寛治)は元予備校教師で今は喫茶店で暇をつぶす日々。ある日、妻から離婚してほしいと言われた次男の二路(滝藤賢一)が実家に戻ってくる。二人は、二路が怪我をさせてしまったムラタ(宮藤官九郎)の代わりに、1時間1000円で「レンタルおやじ」をはじめることになり、そこで様々な人たちと関わることに。
脚本は『逃げるは恥だが役に立つ』(以下『逃げ恥』)や『アンナチュラル』(ともにTBS系)といった作品で知られる野木亜紀子。全話を監督するのは『リンダ リンダ リンダ』や『もらとりあむタマ子』といった映画で知られる山下敦弘だ。
喫茶店のような心地よい狭さが本作にはある。古舘と滝藤の楽しい掛け合いと山下の淡々とした演出、そして、大胆な省略で見せる野木の脚本は、小規模ながら細部まで作り込まれており、贅沢な味わいとなっている。
同時に感じるのは、野木の脚本と山下の演出の相性の良さだ。これは世代的なものが大きい。野木は1974年生まれ、山下は1976年生まれ。どちらも団塊ジュニア、ロスジェネ(ロストジェネレーション)などと言われたバブル崩壊以降の平成不況の時代に社会に出た世代だ。そのこともあってか、二人の作品には、定職につかない引きこもりやニート、あるいはフリーターや非正規雇用の派遣社員といった、劣悪な労働環境で働く若者が頻繁に登場する。
そういった社会的背景は山下の映画においては、ダメ人間が傷をなめ合う生ぬるいユートピアに変換されて描かれていた。これは本作でムラタを演じる宮藤官九郎が2000年代に『木更津キャッツアイ』(TBS系)などの作品で描いてきた、地方でブラブラしている若者たちの世界にも通じる男子校の部室的な世界観で異性がいないからこそ成立する居心地の良さが存在した。その意味でも『コタキ兄弟と四苦八苦』は少し懐かしい。
彼らの姿は、デフレ不況ゆえに世の中は停滞していたが、今思えば、日本にもまだある程度の余裕が残っていて、それなりに楽しかった2000年代モラトリアムを過ごした若者たちの成れの果てに見える。