『IT/イット』完結編はなぜ長尺になったのか? ホラー描写とテーマの関わりから考える

『IT/イット』完結編はなぜ長尺になったのか? ホラー描写とテーマの関わりから考える

 とはいっても、前作でヒットの要因となったショッキングな描写も忘れてはいない。前作のレインコートの少年(ジョージー)が言葉巧みにおびき寄せられて惨殺される凶悪シーンに対応する、少女が狙われるシーンでは、ビル・スカルスガルドの、秒ごとに異常化していく演技の見事さが印象的である。この2作で、彼は完全に役をつかんで、ちょっとやそっとでは追いつけない演技の領域にまで行ってしまったように見える。

 本シリーズは、ホラー表現と、恐怖の体験に巻き込まれる人間のトラウマ(心的外傷)が密接に関わっている。つまり、ホラーを描くことが、人間を描くことにつながっているのだ。そして、ルーザーズクラブにいた者たちの各々の人間性を丁寧に描くためには、それぞれに異なるホラー表現を用意しなければならないことになる。よって、どうしても時間を要してしまうのだ。裏を返せば、それだけキャラクターに愛着があるということでもある。

 しかし、前作と並べたときに、本作はあまりにも前作の内容に近いと思ってしまうのもたしかである。長大な原作を二つに分けたことで、本質的に同じ意味合いのものが二つ出来てしまったのである。映画作品である以上、そこはやはり脚本部分で大胆な変化をつけるような、リスクをとった冒険をするべきだったのかもしれない。

 とはいえ、本作の上映時間が長くなってしまったのは理解できる部分もある。それは本作が、一人ひとりの物語を通して、原作同様にアメリカの暗部そのものを描こうとしているからである。

 日本人をはじめ、世界の多くの人々がアメリカ国民に持っているポジティブなイメージは、“強く、リッチで、自由に人生を楽しんでいる”……という感じではないだろうか。たしかにそういう人間は実際にいるが、そこから外れてしまう人間もまた少なくない。比較的、多様性に寛容な都市部に対し、アメリカの大部分を占める田舎では、男らしさ、女らしさが求められる、画一的で保守的な、“旧(ふる)き善(よ)きアメリカ”と呼ばれるような価値観が、いまも支配的である。この傾向は、差別的な言動を繰り返すドナルド・トランプが大統領になったことで強まり、過去に逆戻りしたとも言われる。

 そんな空気のなかで、マッチョさに馴染めない繊細な少年たちや、社会に求められる貞淑さや従順さに反発する少女たちは、どうしても輪の中から疎外されてしまう。ルーザーズは、そんなマイノリティの集まりなのである。そして、このような子どものときに受けた圧力は、それを克服して大人になってからも、心の奥深くに巣くい、行動を縛りつけてくることがある。

 与えられた価値観のなかで活発でいられなかったり、いつも図書館にこもっていたり、ゲイであることなど、人と違うことで迫害される町。ペニーワイズは、そんな環境をかたちづくる無自覚な悪意そのものだったともいえよう。

 本作は、このような世界で、日々苦しく怯えた思いをしながら生きているマイノリティに光を当て、希望を与えたいという意志を感じる作品である。その性質上、少なくともここに登場する7人については、誰一人おざなりにしないで、その苦しみや恐怖に寄り添い、決着までの過程を、時間をかけても丹念に描かなければならないと考えたのではないだろうか。

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