新解釈のロビン・フッド映画 タロン・エジャトン主演『フッド:ザ・ビギニング』が掲示した可能性

 ここでの弓矢は、まさに銃と弾丸である。ゆえに、戦士たちにはいつでも死と隣り合わせの緊張が走っている。ここで現れるのが、ジェイミー・フォックス演じるジョンだ。敵同士として死闘を繰り広げるロビンだったが、運命の導きによって、ロビンはジョンを師として修行の日々を重ね、ヒーローとしての覚悟と技術を高めていくことになる。

 このようなコミック風の展開や演出に加え、現代の戦争を再現するような現代的表現が、単にかっこよさだけを求めているわけでないのは、本作の展開を観ていれば分かってくる。凄絶な戦闘を生き延び、祖国へ帰還したロビンは、自分が戦死したことになっており、領地や財産は取り上げられ、恋人を含めた領民たちは、過酷な仕事を強いられる鉱山で労働させられていた。しかし、悲劇はそれだけでは終わらない。ここでロビンにとって最も衝撃的だったのは、自分が命をかけて戦い、敵も味方も含め、多数の死者や負傷者を出した戦争を起こした理由が、一部の特権階級が金を儲けるためだったという事実である。

 実際に十字軍遠征は、キリスト教の名の下に、彼らにとっての異教徒であるイスラム勢力から、聖地エルサレムを奪還するという名目で行われた。現代の目で見ると、その大義名分自体にも疑問が発生してしまうが、それよりも十字軍は、進軍するなかで略奪や残忍な行為を行ったことで悪名高い存在として知られている。そして信仰の戦いは、いつしか領土や利益を奪うための侵略へとかたちを変えていく。

 イラク戦争もまた、危険な“大量破壊兵器”があるという名目で戦争に突入し、その情報が不確かなものだったと厳しく指摘され、アメリカ大統領と軍需産業との癒着が一部で疑問視された。国民にとって、信じられていた正義が正義でなくなってしまうという点において、イラク戦争も十字軍遠征と同様ではなかったのかということが、本作の描写から考えさせられるのだ。

 本作のプロデューサーに名を連ねる、スター俳優のレオナルド・ディカプリオは、意義を見いだせる作品でなければ、出演もプロデュースもしないことで知られている。環境問題への取り組みや多様性を尊重する活動をしているディカプリオが、本作の製作に加わったのは、権力を持つ者が弱者を苦しめるという物語の構図に、現代に重なる問題を見たからではないだろうか。

 圧倒的な経済格差を感じさせられる、権力者と鉱山労働者たち。不満が高まった労働者は、突如現れたダークヒーロー、ロビン・フッドとともに立ち上がる。団結して抗議をするなかで、手に火炎瓶のような武器を持って、武装した兵士たちと対峙する構図は、まさに現代のフランスや香港などで見られる、激しいデモ活動そのままである。ロビン・フッドは単独で戦うヒーローではなく、常に人々とともに協力し合う存在なのだ。

 圧政を敷き民衆を騙す権力者を演じるのは、近年『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』などに代表されるように、嫌味な悪役を演じさせれば天下一品のベン・メンデルソーンである。ビジネススーツにも似た服装で演説する姿は、どこからどう見ても現代の悪役にしか見えないが、彼が民衆との戦いのなか、炎が遮る道を、部下たちを犠牲にしながら進む姿は善悪の基準を超える謎のかっこよさがあり、さすが“フッド”の好敵手たる威厳を見せつける。

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