“冒険”を前にした女性たちの反応と関係性の変化 『7月の物語』が描く夏のまぶしいひととき

 いっぽう、第二部『ハンネと革命記念日』で描かれるのは、ノルウェー人留学生・ハンネの、フランス生活最後の夜の惨劇だ。国際大学都市の寮で生活する彼女は、帰国前の最後の日を謳歌しようとする。その日はちょうど、パリの革命記念日にあたるのだ。祝祭的なムードに包まれるパリの街を、ハンネは練り歩く。しかし、彼女は小さなフランス国旗こそ手にはしているものの、その足取りはあてどもない。彼女はこの街にとって、よそ者なのだ。そんな彼女のもとへ、こちらでもナンパ男が現れる。フランス生活最後の夜なのだ、誘いにのってみる価値はあるだろう。ハンネもまた、冒険を望む女なのだ。

 ところがこれをきっかけに、彼女がこれまでの生活で築いてきた人間関係が、少しずつほころびを見せていく。シャツのボタンがひとつ取れてしまっただけで、それはもう「シャツ」としての完全なかたちを保てないのと同じように、いちど生まれた軋轢は、「全体」としてのかたちを崩し、本来の価値を失わせてしまう。留学生の寮ということは、出自の異なる者たちが形成する共同体である。この共同体のかたちに揺らぎを与えた原因は色恋ごとだが、世に溢れるもめごとの根源は、こんな些細な(しかし当人たちにとっては重大な)ことなのかもしれない。

 ところで本作は、監督がフランス国立高等演劇学校の学生たちとつくり上げた作品である。撮影日数は第一部、第二部それぞれわずか5日間で、3人の技術スタッフだけを率いて撮影したのだという。ひじょうにミニマルな製作体制ではあるものの、ここにもまた小さな共同体が生まれていたのである。そこには必ずや、いくぶんかの揺らぎも生まれたに違いない。何者かが集まれば、そこに少なからず価値観の相違が生まれることは誰もが知っている。つまり、作品を成立させること自体に、本作のテーマも内包されていると言えるのだ。

 本作で印象的な、身体をともなった他者とのふれあいは、自分という存在を際立たせる。それは心の交流以上に、他者と自分との境界(=違い)を、はっきりと意識させるものだろう。ここに登場する人々は、積極的にそういった身振りを試みているように思える。はたして私たちは、“どうやって自分という存在を表現するか”、はたまた、“どうやって自分という存在を認識するのか”。第二部のラストでは、革命記念日に実際に起きた「テロ」という史実がささやかに導入されている。ミレナやリュシー、ハンネらは、ちょっとしたすれ違いでもめごとを起こしたが、これがより惨事にならぬと誰が言えるだろう。

 ひとつの「体験」を共有した者たちに、「経験」は平等に与えられるはずである。それをおのおのがどう捉えるのかは、各人しだいだ。関係性の変化によって、彼女たちの見る世界は大きく様変わりするに違いない。本作に流れる時間は、誰しもに平等に降りそそぐ夏のまぶしいひとときを、ぎゅっと凝縮したもののように思えるのだ。

■折田侑駿
映画ライター。1990年生まれ。オムニバス長編映画『スクラップスクラッパー』などに役者として出演。最も好きな監督は、増村保造。Twitter

■公開情報
『7月の物語』
監督:ギョーム・ブラック
製作:ニコラ・アントメ
脚本:ギョーム・ブラック
出演:ミレナ・クセルゴ、リュシー・グランスタン、ジャン・ジュデ、テオ・シュドビル、ケンザ・ラグナウイ
原題:Contes de juillet
配給:エタンチェ
公式サイト:https://contes-juillet.com/
(c)bathysphere – CNSAD 2018

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