福島県白河市から全国の映画館へ 夢破れた男の濃密な人間ドラマ『ライズ ダルライザー』がアツい!

 しかし、だからこその「実在性」が、ダルライザーの魅力である。実際のヒーローショー活動で登場するダルライザーは、スクリーンの中の本人と遜色がない。地元・白河市の公園でポーズを取り、講堂で子供たちと対話し、道端のゴミを拾うその姿は、まるでノンフィクションのドキュメンタリーを観ているような錯覚を呼び起こす。それもそのはず、主人公・アキヒロを演じる和知健明その人が、正真正銘の「ダルライザーの生みの親」であり、自身の半生が本作のストーリーにこれでもかと盛り込まれているのだ。よって本作は、スクリーンの向こうに透けて見える実話の手触りによって、心地よい倒錯感を伴う鑑賞体験を提供してくれる。

 だが、物語の中盤、その「実在性」がにわかに揺らぎ始める。ダイスによるシャングリラ計画の全容が明かされるが、それは、次世代デバイス「パーソナルシート」(腕に貼ることで健康状態等を電子データとして収集できる代物)を介したディストピアの形成であった。ダイスなりの平和を目指す行為こそが、結果として管理社会の創生に繋がっていく。この一連の流れは、ジャンル的に『仮面ライダーゴースト』の眼魔世界を思わせる作りにもなっており、「パーソナルシート」の絶妙な現実感と相まって、地に足の着いた恐怖感を演出する。

 物語の前半でダルライザーの「実在性」を提供し、ドキュメンタリーのような観心地を作りつつ、後半からは逆に「フィクション性」がその領域を広めていく。この、現実をシームレスに浸食していく虚構の構図により、ダルライザーは、市民の中にその身を置きながら、ある種の英雄としてのヒーロー性を勝ち取っていくこととなる。

 クライマックスは、拳で敵を屈服させるのでも、派手なキックでボス怪人を倒すのでもない。「お手製のスーツを着たただの一般市民」だからこそ可能な、そんな方法でダイスの陰謀を阻止しようとする。ここに、ダルライザーの、主人公・アキヒロの、伝えたいメッセージが凝縮されているのだ。しかし同時に、「ヒーローもの」成分としての「面割れ」が配置されている辺りもそつがない。狙った箇所に軸足を置きつつ、それでもエンターテインメントとして成立させる。クレバーなバランスが垣間見える作りとなっている。

 「ご当地ヒーローもの」の作りを逆手に取りながら、同時にしっかりと本懐に着地していく様は、クランクインを遅らせてまで練り込まれた脚本のクオリティによるものだ。主人公を演じつつプロデューサーも務めた和知健明と、監督である佐藤克則が、火花を散らしながら意見を交わしたとされる脚本制作。ご当地ヒーローとは何か、エンターテインメントとは何か、そして、ダルライザーとは何か。あらゆる視点を盛り込みつつ、決してそれが散漫な結果に終わっていないのは、制作規模から考えるに驚きの出来と言えよう。市民を愛し、そして愛され、同時に、妻と子を守るひとりの男の物語。エンターテインメントとしての強度を保ちつつ、ヒーロー性も忘れない。『ライズ ダルライザー ‐NEW EDITION-』は、そんな贅沢な作品として、強固な土台の上に成立している。

 キャストには実際の市民が多く参加しており(なんとアクションスタントも全員が市民である)、主題歌においても、福島出身のアーティスト3名が本作のためだけにコラボレーションを果たしている。来る5月には、街から生まれた映画をまた街に還元するように、ダルライザーと共に行くロケ地巡りツアーも計画されるなど、どこまでも福島県や白河市に寄り添った姿勢が貫かれている。

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