関心を持たないことで事態が悪化していく怖ろしさ 稲垣吾郎『半世界』の“何かがおかしい”雰囲気
“知ろうとしない”という要素は、紘の息子との小さな関係にも描かれる。紘は息子が学校でいじめを受けているというシリアスな現実から目を背け、「何でもないこと」だと思い込もうとする。だがそんな無責任な行動は、もちろん事態の解決につながるわけはなく、いたずらに息子からの信頼を裏切るだけだった。これは、まさにいじめを隠蔽する学校や教師の態度と同じものであり、日本の無責任さを象徴する構図である。
日本のひとつの地域の平和な日常。その平和さとは、じつは目を閉じて耳をふさぐことで得られる、偽りの平和なのではないのか。そんな環境に馴染むことのできない瑛介は、いびつな状況を可視化する存在になっている。本作の監督を務めた阪本順治はこのように、外部に無関心な人々によって作り出される世界を映し出すことによって、日本の問題を、リアリティを持ってあぶり出している。これは非常にユニークなアプローチである。
本作がこのようなテーマを扱っているというのは、“半世界”というタイトルからも理解できる。公表されているように、これは戦前から活躍していた写真家・小石清の連作のタイトルからとられている。もともと前衛的な手法で写真を撮っていた小石は、戦時下において日中戦争に従軍した際に撮影した連作「半世界」で実験的な写真を発表していて、現在ではその一部に反戦的なテーマがあったと考えられている。その後、小石は前衛性を抑え、従軍先の現地の人々の自然な姿をカメラに収めてもいる。
映画『半世界』はそれだけでは終わらない。この物語を印象的にしているのは、ある重要な登場人物に大変な事態が起こるという、意外な展開によってである。これは一体、何を意味しているのだろうか。
その出来事の後、「あちら側も“世界”だが、こちら側も“世界”だ」ということが語られるように、半分に分けられた内側だけの世界が、ここにきて存在感を発揮し始める。紘の過酷な炭焼きの仕事に代表されるように、日本の伝統的な産業は、後継者問題、需要の変化などで危機に瀕している。また本作に描かれた地域の過疎化や、いじめ、親子の断絶など、それらもまた深刻な問題として日本社会にのしかかっているのは確かなことだ。
では本作が、「世界も大変なように、日本も大変なんだ」ということを言いたいのかというと、それは少し異なるように思える。ここで描かれた日本の諸問題が、世界にも共通するところが多いように、世界で起こっていることもまた、日本に関連する問題なのだ。本作が描くのは、それらが“切り離されている”と考える人々の思い込みだ。そしてまた、世界に対しても周囲の問題についても“関心を持たない”ことで事態が悪化していく怖ろしさである。目や耳をふさいだとしても、問題自体は目の前に存在しているのだ。『半世界』は、そのことに気づくきっかけとなり得る作品である。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『半世界』
全国公開中
脚本・監督:阪本順治
出演:稲垣吾郎、長谷川博己、池脇千鶴、渋川清彦
配給:キノフィルムズ
(c)2018「半世界」FILM PARTNERS
公式サイト:http://hansekai.jp/