世界の情勢を変化させようという重要なテーマも 『アクアマン』成功の秘密を分析
近年、Netflixなどのネット配信サービスが普及し、とくに若い世代の映画・ドラマ視聴者は、一つの映像コンテンツに飽きれば、次々に他の作品へと乗り換えることが当たり前になっている。そんな、視聴者にとっては便利だが映像作家にとってシビアな時代に、多くの視聴者を最後まで飽きさせずに興味を持続させるというのは、至難の業になってきている。音楽においても、いまはYouTubeなどで再生されることを意識し、曲の終わりまでミュージックビデオを見続けてもらうために、飽き始めると想定されるタイミングで突然曲調やテンポを戦略的に変化させる作曲者が、時代の要請によって出現してきている。
そういう状況のなかで、あくまで映画作品は、従来の映画の魅力に回帰した演出こそが必要だという考えもある。だがワン監督は逆に、変わりつつある時代に逆らわず、それを利用して面白いものが出来ないかという発想があるのではないだろうか。ワン監督の出世作となった『ソウ』は、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の『CUBEキューブ』や、深作欣二監督の『バトル・ロワイアル』などが確立していった「デスゲーム」ジャンルに、さらに若者の興味を惹く拷問描写を戦略的にとり入れることで、さらなるブームを巻き起こした作品だった。
本作では、そのような試みを徹底的に進め、ファミリー向けに人気のあるジャンルをいくつもピックアップして並べることで、多くの観客が楽しめるものになっている。家族数人で映画を観に行くと、誰かしらは退屈して不満を覚えることが多いが、本作はそれを最大限に回避し得ているといえよう。だからアメリカでは、必ずしも良くなかったオープニングの成績後、観客の出足が徐々に良くなっていったことが、データで示されている。つまり、映画に満足した観客の口コミ効果が絶大だったということだ。
ここで違和感を覚える観客も少なくないだろう。じゃあ本作は計算ずくの、心がない、映画作家としての志が存在しない、コアな映画ファンや本物の人間ドラマを求める観客には意味のない作品なのではないかと。
しかし、そういうわけではないのがジェームズ・ワン監督のすごいところだ。例えば本作のシチリアでの奇想天外なチェイスシーンは、いかにも漫画的で荒唐無稽な描写を実写で表現しながら、上下左右、内と外が目まぐるしく変化しながら、速度感覚と立体感覚を味わうことのできる、挑戦的な演出がとられる。さらに、アジア系のオーストラリア人であるという自らの出自や、主演俳優ジェイソン・モモアの持つ複数のルーツを背景に、差別によって外の人間として扱われる境遇を持った人間の孤独感や、そういう存在が境界をまたぎ、世界を一つにできるという希望を描くという、とくに近年、内向きになっている世界の情勢を変化させようという重要なテーマを描いている。そして原作とはイメージが全く異なる、主演のジェイソン・モモアを美しく、豪快に、神秘的に撮り続け、スター映画としても成功しているのである。
まさに、文句のつけようが見当たらない、嫌味なほどパーフェクトな映画だ。これすらもジェームズ・ワン監督の計算ずくの術中だというのなら、もはやそれに、はまってしまった方が幸せなのではないだろうか。
『アクアマン』の大ヒットは、ポテンシャルが存在しながら、マーベル・スタジオ作品のようには順風満帆ではなかったDC映画を、完全に救ったと言われている。そしてこれを機に、DC映画はマーベル・スタジオの『アベンジャーズ』シリーズに代表されるような、強力なクロスオーバーのシステムとは異なる道を進んでいく可能性がある。