『ハード・コア』はなぜ現代社会と重なった? 山田孝之と佐藤健が抱える空虚の正体

 ここで描かれているのは、何らかのポリシーを持って我慢して生きている者も、自分の利益のみを追求している者も、じつはどちらもある種の空虚を抱えているということであろう。考えてみれば、右近の所属する団体も、結局は埋蔵金を狙っているカネの亡者なのだ。つまり日本社会で特権的な地位や財力を持ってない人間が、何らかの稼ぎを得て生きていく限りは、経済的なシステムを構成する歯車にならざるを得ず、その意味で右近も左近も本質的に境遇は変わらないことが暗示される。本作で起こる様々なギャグやとぼけたドラマは、その空しい現実を気づかせるために進行していくように感じられる。

 そこに救世主のように現れるのが、右近の仲間である牛山(荒川良々)が廃工場で偶然発見した謎のロボットである。「ロボオ」と名付けられたそのロボットは、間抜けな見た目にも関わらず、信じがたいほど高い性能で右近や牛山を助けてくれる。山下敦弘監督映画は、演技者にとぼけたリアクションをさせたり、微妙な間をとることが非常に上手い。本作のロボオも、ロボとしての限られた動きのなかで、十二分に山下映画の役者として機能していたのは驚きである。

 本作は、このロボオの働きによって、一応の納得できるラストへと行き着く。それはロボオの言うところの「最適解」、すなわち日本社会からの脱出である。この結末は確かに妥当といえるものの、あまりにも寂しくないだろうか。それは日本に対するあきらめを意味しているからである。とはいえ、日本社会の価値観のなかで敗北し、脇や底辺に追いやられた者たちが、その構造から逃げ出し、ゲームを降りることで新たな幸せを模索するというのは、一つの前向きな方法であろう。そうなったときに困るのは、固定化された社会システムを維持しようとする、ボーダーの「あちら側」の人間たちであるはずなのだ。

 本作で右翼団体のトップの役を演じたあと、2018年3月に亡くなった、首くくり栲象(たくぞう)に言及しておきたい。彼は18歳からパフォーマンス活動を始め、50歳から自宅で首吊りのパフォーマンスを20年間も続けていた人物である。まさに日本社会の価値観において、異端の中の異端と呼べる存在であったといえるだろう。そんな故・首くくり栲象氏にとって、果たしてこの日本社会は、生きやすい場所であったのだろうか。それを考えることが、『ハード・コア』を考えるということであるはずなのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『ハード・コア』
全国公開中
出演:山田孝之、佐藤健、荒川良々、石橋けい、首くくり栲象、康すおん、松たか子
監督:山下敦弘
脚本:向井康介
原作:狩撫麻礼/いましろたかし『ハード・コア-平成地獄ブラザーズ』(ビームコミックス/KADOKAWA刊)
配給:KADOKAWA
制作プロダクション:マッチポイント
(c)2018「ハード・コア」製作委員会
公式サイト:hardcore-movie.jp

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