映画製作における美術監督の役割とは? 鈴木清順、熊井啓らを支えた巨匠・木村威夫の真髄

互いが特別な存在だった鈴木清順と木村威夫

美術図面

 その中で、やはり興味深いのは、鈴木清順監督とのコラボレーションのパートにほかならない。木村威夫と鈴木清順がタッグを組んだのは1963年の『悪太郎』に始まり、2005年の『オペレッタ狸御殿』までの計15作品。『ツィゴイネルワイゼン』『ピストルオペラ』など、あの清順映画の独特の様式美と映像美に木村は欠かせない存在だった。おそらく木村威夫にとっても、鈴木清順にとっても、互いが特別な存在であったことは確かだ。

 一体、あの清順スタイルはどうやって確立していったのか? 今回の展示では、セットの図面などから、その一端を見て取ることができる。ひと言で表してしまえば、木村のユニークなアイデアと逸脱した美術なしに、あの世界は生み出されなかったのではないか? 展示品を注意深く見ていくと、そう思えてならない。

 ただ、あくまで個人的な推察でしかないが、実際に2人が一緒にした作品の資料よりも、2人が好相性であったことを痛感したのは、木村の残しているデッサンや絵だ。これが驚かされる。その独特の色使いやタッチで描かれた絵は、ロケ場所をちょっとスケッチしたものでも、現実世界にも幻想世界にも見える。そこには、夢の中のような、現実のような不思議な空間、この世にもあの世にも思える風景が浮かび上がる。この不思議な空間と風景こそ清順スタイルに相通ずるところがあるのではないかと思わずにはいられない。また、リアルと幻想、どちらにも触れる感性があったからこそ、木村のもうひとりの盟友といっていい社会派映画の巨匠、熊井啓監督とも組むことができたのかもしれない。

 ちなみに濱田研究員は注目の発見資料として次のように話してくれた。

「まず京都造形芸大からお借りした資料の中で、大映時代最後の作品である『春琴物語』の資料があります。大映時代の資料は少ないので残っているだけでも貴重です。この作品は舞台が大阪なのですが、東京のスタジオに上方の世界を作るため、大阪や京都で綿密な調査を行ったそうです。そのセット図面のほか、セットの細部を描いたスケッチ帖などが見つかりました。さらに他施設に保管されていた資料もあわせて、『春琴物語』の美術を多角的に見られる展示を構成できました。それから、木村さんのご長女である山脇桃子さんから、東京・調布の調布市武者小路実篤記念館に、映画『或る女』の木村さんの資料がいくつかあるとのご連絡をいただきました。調べてみると、『或る女』で時代考証を担当した画家の木村壮八が描いたデッサンが6点ありまして。最初はただのデッサンかなと思っていたのですが、きちんと確認したら映画のタイトルバックに実際に使用されたものと判明して、今回の展覧会のためにお借りしました。それからもうひとつ大きな発見がありました。実は京都造形芸大の資料を探しても、日活時代の鈴木清順作品の図面はほとんど出てこなかったんです。それは川崎のときも同じでした。それでたまたまなんですけど、現在、日活さんから国立映画アーカイブに寄贈される予定の資料がありまして、それは撮影所に保管されていたさまざまな美術資料なんですけど、それを整理してみたら木村さんの『刺青一代』の図面が出てきた。この偶然の発見には驚きましたね。“自分たちの足下にあったか”と(笑)」

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