『半分、青い。』はなぜ“新しい”と呼ばれた? 恋愛ドラマの名手・北川悦吏子がもたらした革新

 もう一つ、画期的だったのは、劇中で描かれた時代だ。本作では鈴愛が生まれた1971年から、東日本大震災の起きた2011年までの40年間が描かれた。中でも力が入っていたのが、80年代後半から90年代初頭。言うなれば本作は70年代生まれの個人史を描いた朝ドラということになる。

 江戸末期から明治を舞台にした『あさが来た』のような例外を除くと、近年の朝ドラは、『カーネーション』や『とと姉ちゃん』のような戦前・戦中・戦後を描いた昭和モノと、『純と愛』や『まれ』といった現代モノに分かれる。そんな中、アクロバティックだったのは、00年代後半から2010年代という近過去を80年代という過去との対比で描いた『あまちゃん』だが、『半分、青い。』と時代の描き方が似ていたのは物語終盤で東日本大震災を描いた『あまちゃん』ではないかと思う。

 『あまちゃん』では80年代後半と東日本大震災へと向かっていく2008年以降の日本がアイドルと芸能界というモチーフを通して描かれていたが、本作が優れていたのは80年代の芸能界をノスタルジックに描く一方で、2010年代のネットカルチャーを媒介にして盛り上がるライブアイドル文化の輪郭を必死で捉えようとする試行錯誤が見られたことだ。これは宮藤官九郎の脚本だけでなく、チーフ演出の井上剛たちによる映像面でのこだわりが大きかったと思う。

 対して『半分、青い。』は、少女漫画の世界を用いて80年代末から90年代初頭の日本を描くことでバブル末期の空気を甘美な過去として描くことに成功したが、00年代に入ると作り手の思い入れのなさが画面に現れるようになり、時代モノとしての面白さはどんどん後退していった。

 かろうじて、津曲雅彦(有田哲平)の息子がボーカロイドで作曲し、ニコニコ動画らしき場所で公開している場面は、同時代性を感じさせたが、80年代末の歌謡曲の使い方に比べると、やはり物足りない。

 ただ、これは仕方がないのかもしれない。劇中の時間がポンポン飛ぶことが批判されたが、基本的に本作は鈴愛が興味のないことは描かないという作りになっている。2011年の東日本大震災も、親友の裕子(清野菜名)が亡くなるという形で描かれていたが、どこまで行っても個人史でしかないというのは、本作の魅力であると同時に限界である。出てくるキャラクターは魅力的で、瞬間々々は面白いのだが、物語が行き当たりばったりに見えてくるのが残念だ。鈴愛がそういう性格だから仕方ないと言えば、それまでだが。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■放送情報
NHK連続テレビ小説『半分、青い。』総集編
10月8日(月・祝)[総合]
前編:13:30〜14:58
後編:15:05~16:33

10月28日(日)[BSプレミアム]
前編:23:30~0:58(再)
10月29日(月)[BSプレミアム]
後編:0:58~2:26(再)

出演:永野芽郁、松雪泰子、滝藤賢一/佐藤健、原田知世、谷原章介/余貴美子、風吹ジュン、中村雅俊、上村海成/豊川悦司、井川遥、清野菜名、志尊淳/間宮祥太朗、斎藤工、嶋田久作、キムラ緑子、麻生祐未
制作統括:勝田夏子
プロデューサー:松園武大
演出:田中健二、土井祥平、橋爪紳一朗ほか
写真提供=NHK
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/

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