『若い女』は冬のパリを舞台にした『ライ麦畑でつかまえて』? “好きにはなれない”人物造形の妙

 「31歳のポーラは、10年付き合った写真家の恋人に突然別れを告げられる。お金も、家も、仕事も無い彼女は、恋人の飼い猫と共にパリを転々とするはめに」(劇場用パンフレット内記述)。映画『若い女』のあらすじを事前に読んだ私は、当初きわめて同情的な気持ちであった。31歳の女性が、10年交際した恋人に捨てられる。この仕打ちがどのような意味を持つのか、くだんの男性写真家はわかっているのだろうか。むごいにもほどがある。名の売れたアーティストだか何だか知らないが、10年の交際をあっさり反故にするような人でなしの男性には、しばらく牢屋に入ってもらった方がよいのではないか……。そんなことを考えながら劇場へ向かったのだが、私の同情は冒頭の数シークエンスであっさりと消散することとなる。1986年生まれの若手フランス人監督レオノール・セライユの長編デビュー作『若い女』は、まず何より特徴的な主人公が印象に残るフィルムだ。


 おそらく別れを告げられた直後であろう。怒りのあまり絶叫するポーラは、くだんの男性宅のドアに思い切り頭突きし、流血しながら失神する。これが最初のシークエンス。それにしても、彼女の野太い声ばかりが記憶に残る。交際相手からこんな風に怒鳴られたらトラウマになりそうだ。額から流血したポーラが目を覚ますと、そこは病院である。事情を聞く医師に向かって、彼女は支離滅裂な発言を繰りかえし、あげくには物を投げて暴れる。困惑する医師。ポーラはどうやら「自分は悪くない」と主張したいようだが、話す内容は脈絡に欠け、まったく共感できない。話すことが無意味なわりに、やけに饒舌なのも困ったものである。交際10年後の別れには同情するが、こんな人とはできれば関わり合いになりたくないと観客がうんざりしたところで、ようやく物語は始まる。すべてを失った彼女は、パリの町に放り出され、行き場もないままあちこちをうろつくほかない。かくして、フランス映画に期待されるおしゃれさやアーバンとはほど遠い、雑然としたパリの裏道を徘徊する孤独な女性の物語が開始される。


 どこへ行っても自分の居場所が見つからない、孤立した主人公が、自分を偽りながら次々と移動を繰りかえしていく物語。こうした筋立ては、いわば冬のパリを舞台にした『ライ麦畑でつかまえて』と呼べる内容だ。本作の主人公ポーラは、偽名と嘘、無意味な饒舌だけを頼りに冬のニューヨークを転々としたホールデン・コールフィールドにとてもよく似ている。主人公は次から次へとひどい目にあい、行き場を失っては落胆するのみである。たしかに気が滅入る物語ではあるが、なぜか目が離せないのは、まるでサリンジャーの小説のようながむしゃらな勢いがあるためだ。転がり込んだ男性の家で性的なモーションをかけられて逃げ出す場面では、アントリーニ先生の家からあわてて出ていくホールデンを連想してしまった。また、主人公があまり成長しないところ、読者(観客)にそこまで好かれていないところも共通している。

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