瑛太が体現する“結論付けられない現実”ーー映画『友罪』が投げかける“少年A”の問題を考える

 実際の「少年A」が逮捕されたとき、「少年法」によって犯人に刑事処分が与えられず保護されたことについて、世間では反発もあった。確かに「少年法」制定時には、子どもがこれほどの凶悪事件を起こすことは想定外だっただろう。刑事処分の可能年齢が、「16歳以上」から「14歳以上」へと、2000年の時点で改正されたのは、やはりこの事件の影響が大きかったはずだ。ともかく「少年A」は、それ以前の基準によって保護処分となった。「元・少年A」への複雑な感情は、この処分が法律上はともかく、道義上、果たして適当だったのかという疑問にも繋がっているように感じられる。

 本作は、その判断を観客一人ひとりに考えさせるつくりになっている。かつて残忍な方法で、小学生や児童を殺害した「元・少年A」を、感情移入すらできる一人の人間として描き、法律を超えたところで、彼を許せるのかどうか迫ってくる。そして観客がそれをどう結論づけたとしても、おそらく誰かの人権を少なからず踏みつけてしまうことは避けられないのではないかと思える。

 本作における、もう一つの重大な疑問は、彼が本当に「更生」しているのかということだ。実際の事件を基にしているが故に、その真実を描くことは非常に難しい。当時の「少年A」の実際の主治医は、「この子は大丈夫でしょう」と語っているものの、本当に真実を知る者は「元・少年A」本人以外にはいないからである。

 知り得ない真実をどう描くのか。瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)監督は、あたかも鈴木が、二つの状態が重ね合わされた「シュレーディンガーの猫」であるかのように、二つの可能性を同時に描くという演出を施している。犯行を悔やんでいるのか、それとも嘲笑しているのか。どちらか読み取れない、アンビバレントでどっちつかずな演技を瑛太に求めているように見える。これこそが、本作が真に描こうとしたサスペンスであり、結論付けられない現実そのものなのだ。

 われわれは、この先も「元・少年A」の心のなかの真実を知ることはできないだろう。またそれは犯罪者に限らず、全ての他人の考えに対しても言えることだ。友人であっても恋人であっても、他人の本音を確実に知ることは不可能である。しかし本作の益田のように、あらゆる可能性を真剣に考え、相手を知ろうとする行為は無駄ではないように思える。世界中で起きている差別問題や争いなどの悲劇は、相手を理解しようとせず、自分の考えの枠のなかに押し込めてしまうことで生まれるのではないだろうか。「少年A」が当時、残忍な犯行に及ぶことができたというのは、まさにこのような想像力が欠如していたからであったように思える。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『友罪』
全国公開中
監督・脚本:瀬々敬久
原作:『友罪』薬丸岳(集英社文庫刊)
出演:生田斗真、瑛太、夏帆、山本美月、富田靖子、佐藤浩市
配給:ギャガ
(c)薬丸 岳/集英社 (c)2018映画「友罪」製作委員会
公式サイト:http://gaga.ne.jp/yuzai/

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