トッド・ヘインズは少数者の孤独な魂に寄り添う 『ワンダーストラック』が示す数奇なつながり

 本作の冒頭では、イギリスの作家オスカー・ワイルドの言葉が登場する。

「われわれは皆 ドブの中にいる。でもそこから星を眺める者だっている」

 ローズのように変わった趣味を持っている子どもの多くが、大人になるに従って、少しずつそれを「卒業」していってしまう。それは生活のためだったり、就職や恋愛のような、功利的で実際的なものに興味が移るからであろう。オスカー・ワイルドは、そのような価値観に支配されてしまうことを、作家である自分のことも含めて「ドブの中にいる」と表現する。しかし、それだけでは悲しい。人は生活や享楽以外に、そこから距離をとった何かの理想を見つめる瞬間にこそ、本当の意味で「生きている」のではないだろうか。

 だが、それを趣味にするならともかく、自分の一生の大部分を理想に捧げようとするのには、一種の狂気が必要である。それを追い続けることは、自分の利益や幸福に反することになりかねないからだ。では、その狂気へ踏み出す力は一体どこからやって来るのだろうか。

 「芸術の才能とは人の内面にもともと存在するものだ」と思われている場合もあるが、実際には芸術とは模倣より生まれるものである。優れた芸術家や、豊富なイマジネーションを持った人物は、いろいろな作品に出会い、それらを自分の実際の体験などと組み合わせることで、いままでに無かった新しいものを創造するのだ。ベンは、生前の母親にオスカー・ワイルドの言葉の意味を質問したが、彼女はその意味を教えてくれなかった。それは、その言葉の本質は、人から教わるようなものではなく、自分でそのようなものに出会うことでしか掴み得ないものだったからだ。

 漫画家・藤子不二雄は、自伝的作品『まんが道』のなかで、その瞬間をはっきりと描いている。手塚治虫の漫画作品『新宝島』は、映画的な演出をとり入れ、現在のストーリー漫画の基となった画期的な作品だ。それを読んだ瞬間、『まんが道』の主人公である少年は“雷に打たれたような”、もしくは“凄まじい嵐が巻き起こったような”衝撃を受ける。そして本当に漫画家になる道を歩んでいく決心をするのだ。人生は、このような一つの瞬間で決定してしまうことがある。それこそが“ワンダーストラック(驚異の一撃)”なのである。

 ワンダーストラックに出会う人間もいるし、出会わない人間もいる。そして出会っても様々な事情によってこれを棄てることになる人間もいるだろう。ワンダーストラックを体験し、いつまでもその夢を追い続けられる人は、世の中にはあまりにも少ない。成功できなかったり、まだその途上にあるのならば、多数の人々から嘲笑されたり、理解を得られず弾圧されることもあるはずだ。本作が寄り添うのは、そんな少数者の孤独な魂である。

 それを応援する象徴的な曲が、本作で使われているデヴィッド・ボウイの曲を子どもたちがカヴァーし、合唱した「スペース・オディティ」であろう。その歌詞は本作の物語にリンクしている。

 デヴィッド・ボウイがこの曲を生み出すときに影響を受けたのは、スタンリー・キューブリック監督のSF映画『2001年宇宙の旅』の世界観であり、またその原曲となるリヒャルト・シュトラウスの交響詩は、哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作『ツァラトゥストラはかく語りき』からインスピレーションを受けたものだ。人の生み出すものは、こうやって連綿とつながれてゆく。「ご都合主義」とも感じられる本作の数奇なつながりは、そのような芸術の本質を表す模型のようなものではないだろうか。それはあたかも、ニーチェがまさに『ツァラトゥストラはかく語りき』で提唱した「永劫回帰」思想をも想起させる。

 トッド・ヘインズ監督は、デヴィッド・ボウイの曲のタイトルをそのまま映画の題名にした『ベルベット・ゴールドマイン』という作品を撮り、その人生を描き出そうとしたことからも分かるように、表現者として彼から深い影響を与えられたことは確かであろう。彼にとっての“ワンダーストラック”が、デヴィッド・ボウイとの出会いであったのならば、本作でデヴィッド・ボウイの影が現れるということは必然的なことだったはずである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『ワンダーストラック』
角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開中
監督:トッド・ヘインズ
脚本・原作:ブライアン・セルズニック
出演:オークス・フェグリー、ジュリアン・ムーア、ミシェル・ウィリアムズ、ミリセント・シモンズ
配給:KADOKAWA
(c)2017 AMAZON CONTENT SERVICES LLC
公式サイト:http://wonderstruck-movie.jp

関連記事