石原さとみが尾上寛之に突きつけた怒りの理由とは? 『アンナチュラル』納得の結末を振り返る
『アンナチュラル』(TBS系)最終回を観ると、第1話から第9話まで描かれてきたことが、すとんと腑に落ち「そうだったのか!」と納得する場面がたくさんあった。
個人的には、第3話でミコト(石原さとみ)がある事件の弁護側の証人として出廷しながらも、「女性だから」という蔑視を受けて、同僚の中堂(井浦新)が引き継いで証人となり、法廷でミコト自身が事件の真実を明らかにできなかったという場面がずっと気になっていた。しかし、第10話を観て非常に納得した。
ミコトは第3話の終わりに、同僚の東海林(市川実日子)から「ミコトに証言台に立ってほしかったな」「ギャフンといわせてビシっと勝ってほしかった」と言われるのだが、「今日のところは法医学の勝利でよしとしとくの」と言っているのだ。その中で、「今日のところは」というのが肝心で、ミコトは最終話でちゃんと証言台に立ち、勝利する。
敵はミコトの同僚である中堂の恋人・夕希子(橋本真実)を含め、26人もの女性を葬り、その上、殺人罪では罪を問えないように巧妙なやり口で罪を犯した凶悪犯である。「ぎゃふん」と言わせる犯罪に序列をつけたいわけではないが、ミコトは、より自分たちに深く関わっていて、そしてより凶悪な犯罪を犯したものに対して、きちんと自分でケリをつけたのだ。第3話でミコト自身が「ぎゃふん」と言わせられなかったのは、第10話のこの瞬間に続いていたのだと、やっと理解できた。
しかもミコトたちのいるUDIラボの考えとしては、裁判に単に勝ちたいのではないから、どんな手法を使ってもいいわけではないという姿勢もきちんと見せる。
第3話にも出てきた「白いものも黒くする」という異名を持つ烏田(吹越満)は、今回の連続不審死の事件でも担当検事となり、その被告人である高瀬(尾上寛之)の罪を「黒くする」役割として出てくるのだが、法で高瀬を裁くにはこの手段しかないと、嘘の鑑定書を出すようミコトに指示をする。そこで考え抜いたミコトは、嘘の鑑定書は書けないと一時はあきらめるのだが、UDIラボ所長の神倉(松重豊)自らが烏田のもとにいき、嘘の鑑定書は出せないという姿勢を貫いた(それに烏田も応じるのである)。
法廷シーンには、ほかにもたくさんのことが散りばめられている。例えば、ミコトは母親が企てた一家無理心中の生き残りであるが、その資料を六郎(窪田正孝)が読んでいたとき、中堂はそれを見て(ミコトのこととは知らずに)「その子供、今ごろ犯罪者になってるかもな。絶望するには十分だ」というセリフを吐くが、これは、連続不審死の殺人犯である高瀬の現在とつながっている。高瀬もまた、しつけのために口にゴムボールを入れられるという虐待を母親から受けていたし、絶望があるからだ。
ミコトは、同じように不幸な生い立ちで絶望を感じたことがあるからこそ、その生い立ちと絶望を理由にして、犯罪に救いを求めようとする高瀬のことが許せないという気持ちがあったのだろう。だからこそ高瀬に対し、法廷で「動機だってどうだっていい。ただ、同情はしてしまいます。このかわいそうな被告人に。被告人は今もなお、死んだ母親の幻影に苦しめられています」「誰も彼を救えなかった、あなたも自分自身を救えなかった。あなたの孤独に心から同情します」と告げるのだ。
この言葉によって、被告人は「やりたくてやった」「26人誰も真似できない、俺はやりとげた」と人々に聞いてくれとばかりに自供してしまうのだ。
しかし、高瀬がここまであっさり自供してしまったのには理由がある。まず、ミコトは被告人の感情を引き出そうとしている。これは、第3話で自分がやられたこと、つまり「感情的」にさせられたことで、最後まで証人を続けられなかったことを、そのままやり返しているということとも考えられる。しかし、これは単なるミコトの「仕返し」ではない。ミコトと高瀬が同じ境遇、つまり同じ絶望を感じていたからこそ、自分に言い聞かせるように、ここまで強い言葉を言えたのではないだろうか。
高瀬がこれに反応して「母親は関係ない」「俺はやりとげた」と強く言うのは、今も実は母親の影に苦しめられ続けていることを、逆に明らかにしている。彼の地雷や急所は、母親の影をいつまでも引きずって乗り越えられないことであり、乗り越えられないからこそ、26人もの女性を殺すときに、母親にされた虐待と同じ手法を使い、悪い意味で昇華させようとしていたのではないか。結局、彼は母親の死と絶望を自分の甘えや正当性のために犯罪の理由として利用していたのであり、ミコトはそれを乗り越えたからこそ、彼に対して格別の怒りがあったのではないだろうか。