『HiGH&LOW THE MOVIE 3』脚本家・平沼紀久インタビュー【前編】「単に男の子たちが喧嘩をするだけじゃない」

 『HiGH&LOW』シリーズ最終章『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』が、現在大ヒット公開中だ。ドラマ、配信、コミック、SNS、アルバム、ドームツアー、映画と、数多くのメディアやエンタテインメントを巻き込み展開する、世界初のプロジェクト『HiGH&LOW』の映画第4弾となった本作では、SWORDの面々と九龍グループの直接対決が描かれ、すでに各所で大きな話題となっている。

 リアルサウンド映画部では、同作の脚本家・平沼紀久氏にインタビュー。前編では、最終章を迎えて“大人対子ども”の戦いが象徴的に描かれた理由や、新たに生まれた謎、そして続編の可能性についてまで詳細に話を聞いた。聞き手は、ライターの藤谷千明氏。(リアルサウンド映画部)

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「パワーのインフレ」にならない挑戦はしたかった

――『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』の反響をどのように感じていますか?

平沼:色々な反応はあるのですが、総合的には怖いくらい良いですね。「本当に大丈夫ですか?」みたいな。

ーーどのような不安があったのですか。

平沼:「伏線を回収する」と言いながらも、回収できているところとできていないところがあって、話の大きな流れを回収した部分を(観客が)どう捉えてくれているのか、あるいは「第一世代の終わり」をどう受け止めてくれているのかという部分ですね。そこも「予想を越えた展開で面白かった」という声も多くて一安心です。逆に伺いたいんですけど、『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』(以下、『FINAL MISSION』)どうでしたか?

ーー予告の時点で印象的だったコブラの「拳だけじゃ解決できない」というセリフ通り、バトルではない形での終着を選択したというのは『HiGH&LOW THE MOVIE』『HiGH&LOW THE MOVIE2 / END OF SKY』(以下、『END OF SKY』)とは違う挑戦があったと感じました。例えば、九龍の頭とコブラたちが拳で戦うという選択もあったはずです。そこは選ばなかった理由はあるのでしょうか?

平沼:それをやり続けちゃうと『ドラゴンボール』になるなと思って(笑)。

ーーパワーのインフレが起きてしまうということですね。

平沼:単に続々と強い人が出てきてしまうと、そのうち人造人間や魔人ブウが出てきてしまう……じゃないですけど、今後も「強いキャラクター」はたくさん出てくるとは思うんですが、そういう風(パワーのインフレ)にならないような挑戦はしたかったんです。「九龍は最強の敵」なので、その人たちと戦うのであれば、拳以外の方法もあるんじゃないかと。ステップアップするごとに物の見方って変わってくるじゃないですか。解決策はひとつじゃないというのは、『HiGH&LOW』の作り方そのものとも共通していて、マンガやスピンオフ、映画とライブがドッキングしたイベントなど、従来の映画の枠を越えた表現をしています。「普通はこうでしょ」というところに、「そうじゃない見方もある」という新しい提案ができるようなところが、根底にあるのかな。

ーー前作までは、ただひたすら「悪」として描かれていた九龍グループも、かつては弱者を守る側だったり、派閥によって様々な思惑があったというのも「物の見方はひとつではない」という話に通じますね。

平沼:もともとHIROさんが「悪い人も全員幼稚園のひよこ組だったりした時期もあるんだよね」ということを仰っていて、どこかで自分のバロメーターが善と悪に変わっていく瞬間とかあると思うんですね。そこに皆気づいて欲しいというか、間違った方向に行かないようにコントロールするってことが大事なんじゃないかと。そこは今回のテーマでもあるんです。

――一人で抱え込んだしまった結果暴走してしまったコブラの行動はおっしゃるテーマそのものですね。

平沼:そうなんですよね。もちろんコブラのことは強い男として僕らも書いているんですけど、あんな風に追い込まれてしまったら、気持ちが揺らいでしまうかもしれない。九龍からあんな拷問を受けた後に「ウチに来ないか」と誘われたら、普通の人だと首を縦に振ると思うし、僕だったら「うん」って言っちゃうと思う(笑)。

ーーどう考えてもこの後、殺されるという状況ですからね。

平沼:「俺はただ……」というセリフがありますが、コブラは本当は街を守りたかっただけなんだけど、望まない方向に行ってしまったっていう自分の後悔が入っているんですよね。

――そのギリギリのタイミングで、琥珀さんや仲間のおかげで戻ってくることができた。

平沼:それに、「受け入れてしまう」ということが「悪になる瞬間」なのかもしれない。「俺は悪いんだ」とか「俺はしょうがないんだ」と、受け入れた瞬間決まってしまうんじゃないかな。例えば『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーもその瞬間を受け入れることによって、悪の道に進んでしまうっていうか。受け入れる前に考えよう、受け入れる前に必死に悩んでみようということをメッセージとして入れたつもりだし、ただ単に男の子たちが喧嘩をするだけじゃない部分を感じていただける作りにしたかったんです。

――琥珀さんも悪に染まっている大臣に対して、「正しく生きろ」というセリフだけでなく一発殴るとか「拳で解決」はしませんでしたし。

平沼:同じフィールドで戦っている相手だったらいいですけど、立場が違うところで殴ってしまうと、圧倒的に不利になるじゃないですか。交通事故もそうなんですけど、歩行者と車とだと、圧倒的に車が悪くなるじゃないですか。

――たしかに大臣が歩行者だとしたら琥珀さんは車みたいなものですからね。

平沼:だからこれまで散々殴りあったので、メッセージで行けるんじゃないかな、と。

「色々奪われると大人になる」っていうのがテーマ

――本作には九龍、政治家、テッツのお父さんだったり、様々な「大人」が登場します。彼ら大人の描き方について聞かせてください。

平沼:僕の中で「色々奪われると大人になる」っていうのがテーマなんです。子どもから大人になってくると、自由も奪われるし、考え方も変わってくる。だから九龍も、もともとは山王連合会やSWORDみたいな街を「守る側」の人間だったのが、いつしか暗黒面に染まって「奪う側」になっていった。子どもの頃の全能感というか、俺が地球を動かしているくらいの見えない自信があっても、大人になるにつれて自信がひとつずつ剥ぎ取られていきますよね。世間体を知るとか、守る者ができる過程で、人は大人になっていくと思うんです。いいことでもあるんですけど、もしかしたら色んなものを奪われているのかもしれないという想いがあって。だからいつも脚本を書く時は子どもになって書いているというか、「これやっぱカッコいいよね!」とか「こうだったらな~!」とか、子どもの心を目覚めさせて、それを大人が真剣に作るというか。でも大人だからこそ真剣に作っているし、家庭を守るためだからこそいいもの作って成功させたいという思いもある。

ーーなるほど。

平沼:それを今回色々なキャラクターに当てはめていったという部分もあります。例えば二階堂の「過去を燃やしたい」というセリフもそうなんだけど、彼が無名街から出たかったという気持ちも間違っていないんですよね。「いい生活をするために誰かを利用するっていうのは別にしょうがないことじゃん」っていう。けど超ピュアなRUDE BOYSから見れば、それは悪に映るかもしれない。彼らからすると二階堂は大人に見えるし、そこは対比になっている。

――だからこそ二階堂はスモーキーたちに苛立ちを隠せずにいると。

平沼:無名街にこだわることが理解できないんですよね。

――子どもと大人の溝ですよね。

平沼:そうなんです。「きったねえ大人が!」と感じることが子どもの頃にはあるじゃないですか。でもそれ、大人の中ではルールとしてしょうがないじゃんって思うところでもあって。だから、いつか「大人って楽しいんだよ」っていうセリフも作りたいんですけどね。あと、大人と子どもだけでなく、社会の中でもそんな気がします。

――登場当初は悪徳刑事かのような振る舞いだった西郷も、実は芯のある大人だったり、公害の当事者である馬場さんも今まで何十年も逃げ回ってきたけど、琥珀さんのいう「正しく生きる」を体現するわけじゃないですか。本作はそういう大人たちの話でもありますよね。

平沼:僕もそうなんですけど、若い子たちといると気づかされることもありますよね。この間も佐野玲於(GENERATIONS from EXILE TRIBE)から色々な相談を受けて一緒に考えているうちに、僕の中での引き出しがもう1個増えるようなことがあったんです。40代の僕の考えと今の20代の考えは全然違うので、そこは20代からの意見を多く取り入れることによって、得るものがあると思うんです。別に役職や立場で偉いとかも全くないので、皆フランクに言ってくれるので、楽しいし、こちらも気付かされることが多いんです。

――山王も『END OF SKY』で一度決別するじゃないですか。そこからテッツのお父さんの言葉で関係が修復されるという。これもひとつの大人の姿ですね。

平沼:そうですね。絶対3人の中でもわだかまりはあって、本当は戻りたいって気持ちがあるんだけど、一度決別を口にしているし、誰かに背中を押してもらわないと仲直りできない瞬間ってあるじゃないですか。それを誰にしようかなと思っていて、「尾沢かな?」とか考えたんだけど、違うなと(笑)。やるんだったら父親が適任かなと。やっぱり「2代目」の象徴である山王商店街で受け継いでいくという部分を強く出したかった。喧嘩のことに対して全く否定しないし、逆に「そんなこと言ってんじゃねえ。お前らがやることにとやかく言うつもりはねぇが、今のものさしで見て仲間をああじゃないこうじゃないってするのだけはやめろ」っていう大きいお父さんの言葉が必要だった。

――渡辺裕之さん演じる説得力のある父親が。

平沼:それも「やっぱりテッツのお父さんってイケメンだよね」って話になっていて、イケメンでガッチリした人にやっていただきたいなっていうのがあったので、「渡辺裕之さんどう?」「ああいいっすね!」みたいな形で決まったんですけど。そこもやっぱり「継承する」山王連合会だからこそ、父親から言われる言葉に重みがあったんだと思います。

――映画では不正は暴かれたじゃないですか。でも、再開発は止まっても山王商店会自体はさびれたままなので、万々歳ではない。

平沼:そうなんですよね。実はそういうことを全部考えていたのがコブラだし、ヤマトやノボルだというところもって。「俺を信じろ」って言葉の裏には「同情するのは簡単だよ」という意味もあって。一緒に泣いて「大丈夫」とか言うのは簡単だけど、自分が誰かのために犠牲になっても必要とされる人間になるかが、1番重要だっていうメッセージがあのセリフには含まれているんですよ。今後コブラたちがテッツにそれを体現するのだろうし。

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