『インサイド・ヘッド』は最深部のヒューマンドラマだーー夢いっぱいに描かれる“脳内世界”に脱帽
一昨年の夏に日本で公開され、40億円の興行収入を記録したディズニー/ピクサー制作の『インサイド・ヘッド』が、日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」にて、本日16日に地上波初放送される。11歳の少女ライリーの頭の中にある5つの感情を主人公にして、環境の変化で不安定になっていくライリーの感情世界を舞台に繰り広げられる冒険と、ライリーの成長を描き出した本作。世界のアニメーションスタジオを牽引するピクサーの本領が発揮された作品なのである。
これまで「おもちゃ」や「車」といった身近な物から、「虫」や「魚」のように命はあるが人間とは意思疎通ができないもの、果ては「スーパーヒーロー」や「夢に出てくるモンスター」まで。ピクサーアニメが描き続けてきた世界はほかのアニメ映画とは一味違う。どのキャラクターも、誰もが通ってきた道に必ずと言っていいほど存在していたのに、大して気にしてこなかったものばかりだ。
そして必ずと言っていいほど、人間が主人公の作品でも同様に、メインキャラクターたちは苦悩と葛藤を味わい、そしてそこに差し込む希望の光がファンタジックに描き出されている。また、どの作品も共通して、根底には「家族」という最小の社会がテーマに置かれているのも、いかにもアメリカ映画らしい部分であるといえよう。
本作では身近も何も、誰もが生まれた時から持っている感情を擬人化(もともと人間の内部だからこの言葉が適切かどうか難しいところだ)しただけでなく、決して見ることのできない脳内の世界を独自の発想で可視化させたことで、純粋で複雑な感情の存在を気付かせてくれる。観ているうちに自分の感情の中身を分析してみたくなることだろう。
何か出来事があるたびに思い出が記録されていくボール。考えを巡らせるときにアイデアを運ぶ列車、特別な記憶によって形成されていく性格の島。何よりも魅力的なのは、たった11歳の少女でも思い出のボールは数え切れないほど存在していて、それが収容されている保管庫の複雑な作りに、その中からいらない記憶が消されていく忘却のメカニズム。噛み砕けば小難しくなりそうな人間の脳内世界を、ここまでわかりやすく、そして夢いっぱいに作り出す驚異的な想像力には脱帽せずにはいられない。
本作の制作過程で、監督のピート・ドクターは1943年のディズニーアニメ『理性と感情』を参考にしたとされている。同作では、脳内にいる“理性”と“感情”がひとりの人間を動かしているとし、赤ん坊は“感情”だけを持つ。男性は女性を口説くことで、女性は美味しいものを食べるかどうかで“理性”と“感情”がぶつかり合う。最終的にはヒトラーが人の感情を支配していく過程を批判的に描き出している。
この70年前のアニメーションで描き出されたふたつの脳内人格の片方にフォーカスを当て、それをさらに細分化させたのがこの『インサイド・ヘッド』というわけだ。そもそも人間の感情はいくつもの感情が集合して作り出されていると言われている。本作で登場するのは5つ。“ヨロコビ”“カナシミ”“イカリ”“ビビリ”“ムカムカ”。ここに“ビックリ”が加われば、心理学者ポール・エクマンが提唱した人間の基本的感情が成立するわけだが、それはほかの5つの感情のどれにも付随することができるから登場しなかったのであろうか。
“理性”が登場しないというのは、主人公が11歳の少女で、まだ“理性”が構築されるに足る経験が少ないからなのかと思っていたのだが、両親の脳内世界でも“感情”しか登場しないのを見ると、ロジカルな部分よりもエモーショナルな部分だけを抽出した方が楽しいからだろう、という何とも漠然とした結論に達してしまうのである。