サエキけんぞうの『ラ・ラ・ランド』評:『ロシュフォールの恋人たち』に通ずる“葛藤”のない輝き

ジャスティン・ハーウィッツの音楽センスとは?

 

 大ヒットのもうひとつの理由に音楽がある。『セッション』を共に成功させたジャスティン・ハーウィッツの音楽は今回、ブレイクを遂げたといっていい。彼らの音楽センスとはどんなものだろう?

 今回も物語の主軸をなすジャズ。それについて『セッション』では菊地成孔氏による見事な音楽分析により疑義が上がり、映画論争に火をつけたことが忘れられない。『セッション』は鬼軍曹のような教官のしごきの理不尽さが見せ所だが、いくつか確かに不自然なところがある。例えば曲のテンポを「速い」「遅い」とミクロの判断を強いられるシーン。普通の人には全くわからない。ところがあのシーンは人間メトロノーム的に精緻なリズム感を持つパール兄弟のギタリスト窪田晴男でさえ「半分しかわからなかった」ともらした。つまり、あれは正解はあえて迷宮?というほど極端な表現ということだ。『セッション』のお手本のような漫画『巨人の星』にも似たようなシーンは星の数ほど出てくる。ほぼボールの大きさに空けた壁の穴に向けてボールを投げ、その向こうの木にぶつけて一人キャッチボールをするシーンなど「こんなこと現実にあるんかいな?」と思ったもの。スポ根に科学はいらない。

 音楽の論争の元となった若者によるドラム演奏はどうだろう? それは正直、ジャズというよりヘビー・メタルである。映画中でお手本であるはずのバディ・リッチには、似ても似つかない。実はそのことについては、監督はキチンと仕掛けを用意している。映画中では、オリジナルのバディ・リッチ本人の演奏は「ラジカセ」から流しているのだ! ローファイのモコモコした音で! そのシーンは一般客は「あ~こんな感じね?」という感じでスルーするだろう。ところが古いジャズを本当に好きな人だったら、ラジカセのヒドイ音でも「主人公の演奏は、全然バディ・リッチと鳴りが違うじゃないか?」と怒り出すかもしれない。

 

 それはチャゼル監督と音楽担当ジャスティン・ハーウィッツの作ったお約束だったのではないか?と思う。60年前の名演奏を真似たプレイによって、今の若者に訴求する映画が作れるか? 彼らはヘビー・メタル演奏を選んだのだと思う。そして「音が分かってないわけじゃないんだよ」と映画の中に「言い訳の種明かし」は作っておいたのだ。

 今回のサウンド・トラックにもそんな精神は生きている。セロニアス・モンクのレアな「荒城の月」(「Japanese Folk Song」というタイトルでアルバム「STRAIGHT NO CHASER」(67)に収録)でルーツ感を提示後、始まるテーマ曲はミッシェル・ルグランのような豪快で緻密なジャズ生演奏ではない。EDM好きな若者の耳にもヒットするような(恐らく)プログラミングされたテクノ調の練り上げられたリズム。ジャズなのにあまりハネてない……のだ。さらに編曲はなぜかカリビアン風の展開にも、無頓着にいく。映画の中では商業サンバを揶揄しているというのに。この曲は、古いジャズを饒舌に鼓舞することも、今の流行に媚びることなく、淡々と年代不詳に、今の人々に物語の入り口を示すのだ。

 

 映画の情感を盛り上げる寂しげな曲「シティ・オブ・スターズ」は、『シェルブールの雨傘』主題歌的な役割ともいえるが、フレンチ調は避けて、ランディ・ニューマンなど、初期米国シンガー・ソングライター調とでも形容すべきシンプルな作品になっている。そうしたチョイスひとつひとつが「こうでなければならない」という単純なコダワリを避けていて、広く聴き手の開かれた日常性へと視線を投げているのだ。

 キャスティングで印象的なのはライアン・ゴズリングの「死んだような目」だ。コッポラの『ペギー・スーの結婚』(86年)でニコラス・ケイジが演じた「誠実で愚直さが魅力な男」と似ていると思った。「夫(ニコラス・ケイジ)との離婚を決意した中年女性が、卒倒を切っ掛けに高校時代に帰って人生を見つめ直し、夫に回帰する」という物語。女性が主人公である物語にあって、男性の役割は英雄ではなく「誠実さ」がポイントだ!と見切ったようなフェミニンな筋立て。そこでコッポラは、主人公男に野獣のようなギラギラした光を求めなかった。そしてニコラス・ケイジという変わった顔の才能が発掘された。(『ラ・ラ・ランド』に通じるテーマを持つオススメの作品です)今回、女性に人生を動かされた挙げく、去られてしまうピアニストを演じたライアン・ゴズリングには、そうした「音楽や恋人に対してあくまで誠実、目は死んだように見える」という役回りを果たさせている。

 対してエマ・ストーンは、「誰にでも愛されるスター」を目指す日々の葛藤を「ヘン顔」ギリギリの表情で熱演する。「カエルみたいだ……」と思えたシーンも多い。落胆を現す表情の奇想天外は「男にいつでも愛されたい」という枠を完全に逸脱している。そんな必死な動作を演じたところが、女性に好感をもたれる由縁ではないだろうか?

 

 夢に向かって熱く生きる二人は、結構いい生活をしている。親は健在だし、シェアハウスは綺麗だし、車もけして安いわけではない。この映画は、深い生活上の葛藤から立ち上げるわけではない。それは60年代風のゴージャスさに溜息の出る『ロシュフォールの恋人たち』と同じである。踊り、それも群舞の魅力を見せたい!そうした動機で映画を作ろうとした時、悲しみを軸とした本質的葛藤はいらない?というポリシーが話し合われたかもしれない(物語性が深い人生の苦悩から作られ、歌に本質的な動機が含まれるミュージカルには、ゲイなどのマイノリティを登場人物にした『レント』(05)のような傑作がある。ぜひ、そちらも見て比較して欲しい)。

 ラストに飛びきりの仕掛けが用意してある。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の現代版のようなシーン。そこで、サエキは不覚にも過去の自分の体験を思い出した。もう一つの人生は現実に存在する?と誰もが心に秘める欲求。それが炸裂する(この映画が好きになれた場合に限る)。

■サエキけんぞう
ミュージシャン・作詞家・プロデューサー。1958年7月28日、千葉県出身。千葉県市川市在住。1985年徳島大学歯学部卒。大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。沢田研二、小泉今日子、モーニング娘。など、多数のアーティストに提供しているほか、アニメ作品のテーマ曲も多く手がける。大衆音楽(ロック・ポップス)を中心とした現代カルチャー全般、特に映画、マンガ、ファッション、クラブ・カルチャーなどに詳しく、新聞、雑誌などのメディアを中心に執筆も手がける。

■公開情報
『ラ・ラ・ランド』
全国公開中
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、J・K・シモンズ
提供:ポニーキャニオン/ギャガ
配給:ギャガ/ポニーキャニオン 
(c)2017 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
Photo credit: EW0001: Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate.
公式サイト:http://gaga.ne.jp/lalaland/

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