ジャ・ジャンクー最大のヒット作『山河ノスタルジア』は、新時代の中国国民映画となる

 ジャ・ジャンクー(賈樟柯)といえば、カンヌ、ヴェネツィア、ベルリンなど世界的な映画祭に招待される常連監督であり、『長江哀歌』でヴェネツィア国際映画祭最高賞を受賞するなど、現在最も国際的に評価される中国映画人のひとりとして知られている。本作『山河ノスタルジア』は、ときに観客を突き放すような、孤高的ともいえる今までの前衛的スタイルとは、明らかに一線を画すアプローチで、見る者を驚かせる。中国国内では公開二日間にしてジャ・ジャンクー監督のこれまでの作品を全て足した興行収入を超えるという異常事態が起き、日本を含め世界的に高い動員を達成している。ジャ・ジャンクーに、何が起こっているのか。ここでは、その理由を探りながら、本作で描かれる「中国」の現在について、できるだけ深く考えていきたい。

中国映画「第六世代」の旋風

ジャ・ジャンクー監督

 かつて政府によるプロパガンダの役割を担ってきた中国映画だが、文化大革命の終焉後、「第五世代」と呼ばれるチェン・カイコーやチャン・イーモウなどの優れた映画監督が国際舞台で高く評価され、日本でもその芸術性は注目を浴びてきた。とくに見るべきは、そこに描かれた文化大革命の爪痕と、荒涼とした貧しい中国の真実の姿だ。

 ジャ・ジャンクーをはじめ、『二重生活』のロウ・イエや、『薄氷の殺人』のディアオ・イーナンなど市場経済の導入された時代に育った「第六世代」といわれる映画監督たちは、豊かになっていく国の経済状況とは逆に、ときにインディペンデントな制作体制をとることで、または北野武作品を制作してきたオフィス北野がジャ・ジャンクー作品に早い時期から協力し続けているように、国外の会社と提携することによって、「第五世代」の伝統を受け継ぎつつも、演出手法やテーマの面で、より自由で挑戦的な表現に取り組んでいる。中国政府が喧伝したい「中国像」とはかけ離れた、より実相に近い中国を、研ぎ澄まされた感覚によって描くことで、とりわけ国外の観客から熱狂的に支持されるのである。

 私が数年前に中国を訪れて、いくつもの都市を見て回ったときに印象に残ったのは、資材を積んだトラックがせわしなく行き交い、いたるところで建築工事、もしくは解体工事ばかりをやっているということだった。好景気に沸く中国の街は、それぞれに差はあれど、急速な発展によって先進的な都市に変貌を遂げている。だが少し狭い路地に入ると、ドブ川沿いで生きた蛇が何匹もケージに入って売っている「中国らしさ」に出会ったりもして、むしろ安心するという経験もした。ジャ・ジャンクーが汾陽(フェンヤン)などの地方都市を通じてとらえる中国の実像とは、このような古い時代と新しい時代が、二極化したまま混在したキメラ的な生々しい姿である。そういった状況から、世代間の断絶、地方と都市の断絶、貧富の格差についての断絶という、深刻な社会問題があぶり出されてくる。

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