『スター・トレック BEYOND』はオリジナル版の魂を復活させた テンポ抑えた作風の意義

 TVや映画でカルト的人気を誇るSF作品「スター・トレック」。その始まりとなった1966年のTVシリーズ、"The Original Series"(宇宙大作戦)を2009年に新しい映画作品としてリブート(再起動)したのが、J・J・エイブラムス監督による『スター・トレック』である。本作『スター・トレック BEYOND』は、この新シリーズの3作目にあたる。

 『スター・ウォーズ』7作目の監督も務めた、J・J・エイブラムスによる本シリーズの第1作は、元の「スター・トレック」とは印象が異なり、場面が目まぐるしく展開していく、どちらかというと『スター・ウォーズ』寄りとも思える、明快なSF活劇となった。TVドラマの制作や演出でヒットメイカーとなったJ・J・エイブラムス監督は、物語を宙吊りのまま中断する、連続ドラマにおける演出を映画に転用し、一本の映画の中で「次はどうなる? 次はどうなる?」と観客に思わせ続ける状況を作ることで、娯楽映画の分野でもヒットメイカーとして評価を集めている。

 制作と監督の両方を務めたシリーズ第2作『スター・トレック イントゥ・ダークネス』では、この特徴が前面に押し出され、古くはジョン・フォード監督の『駅馬車』のアクション・シーンや、または週刊連載される少年マンガのように、「停滞」を排除し「速度」を維持していく手法を、ついに映画全編にまで行き渡らせるといった、ある意味実験的ともいえる、娯楽表現のひとつの極地に到達したといってよいだろう。

 J・J・エイブラムス監督による、この2作によって、シリーズはまさに新たな作品として「生まれ変わった」。元のシリーズにあったマニアックさや、ある種の深刻さ、テンポの遅さなどは払しょくされ、より広く一般の観客を集める「ポップ化」に成功し、大ヒットに結び付けたことは間違いない。だが一方で、否定的な意見があることも事実だ。もちろんオリジナルの「スター・トレック」でも、アクションは重要な要素となっていた。だが、そもそも「トレッキー」と呼ばれる、過去作の熱狂的なファンの多くは、それよりもSF的な設定の本格さや、描かれるテーマの奥深さなどを高く評価しているはずである。その点の物足りなさが、新シリーズの弱点でもあった。

 さて、同じようにヒットメイカーであるジャスティン・リン監督にバトンタッチされた、第3作『スター・トレック BEYOND』はどうだったのか。ジャスティン・リンといえば、『ワイルド・スピード』シリーズを、やはり3作目から受け継ぎ、モンスター級の超ヒットシリーズに育てた監督である。その経緯から『スター・トレック BEYOND』は、ものすごいスピードで疾走していく前作から、さらにギアを上げ、リミットを振り切った作品になるのではないかと思われた。だが本作は意外にも、どっしりと腰を落ち着けた、いわば「停滞」する作品であった。

 

 クリス・パイン演じる、前2作から成長した、U.S.S.エンタープライズのカーク船長は、ザカリー・クイント演じるスポックら優秀な乗組員たちとともに、助けを求める異星人を救うため、未だ連邦政府が立ち入ったことのない危険な星雲に踏み込む。そこでエンタープライズ号は敵の奇襲に遭い、ある惑星に墜落していく。本作で描かれる惑星での戦いは、カークや乗組員たちが拠りどころを失い、本来のはたらきができない状況、つまり「速度」を失ったまま展開していくのである。

 過去2作と比べ、ゆっくりとした展開は、むしろ過去のTVシリーズや映画シリーズのテンポに近い。カークたちが惑星で「過去の遺物」と出会うという物語の内容と同じように、「過去」と向き合って「停滞」することで、オリジナル版の大ファンだというジャスティン・リン監督は、当時の魂を部分的に復活させている。そして「停滞」を打破し、「速度」を取り戻してからは、また本シリーズの目まぐるしいスピードに回帰していく。本作は二つのテンポを描くことで、距離があったオリジナルと新シリーズをリンクする存在となったのである。そして真の意味で、本格的な『スター・トレック』が、本作から「新生」したといってよい。今後も本シリーズが続いていく上で、非常に重要な仕事を果たしたのだ。

 

 何よりも重要なのは、テーマにじっくりと取り組んでいるという点である。本作で魅力的に描かれる、オリジナルの象徴としての「過去の遺物」は、同時に、その意味から切り離された、別の意味での悪しき象徴としても機能している。それは、かつて多くの人々のなかにあった、異なる民族への差別・偏見を基とした敵対意識と、そこから引き起こされる戦争の歴史である。本作の敵であるクラールは、過去の兵器を持ち出し、過去の排外的な世界観によって戦争を起こそうとする。

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