築地市場には“日本の文化”が刻まれているーー『築地ワンダーランド』が描き出す、人々の営み

 先頃、基準値を超える汚染物質が検出されたため、豊洲への移転延期が正式に決定するなど、依然として不確かな状況が続いている「築地市場」の移転問題。関東大震災の影響によって、かつての日本橋から現在の築地に移転すると同時に、魚問屋の私設市場から東京都の公設市場となって以降、約80年もの長きにわたって東京の食文化を支え続けてき築地市場の行く末は、東京都民のみならず、多くの人々にとって気掛かりなトピックのひとつとなっている。しかし、「文化」というのは、結局のところ、「場所」や「建造物」ではなく、そこに集まる「人間たち」によって形成されるのだ。そのことを忘れてはならない。10月1日より、築地「東劇」にて先行公開中(全国公開は15日(土)から)のドキュメンタリー映画『TSUKIJI WONDERLAND/築地ワンダーランド』を観て、改めてそう思った。

 

 東京ドーム約5個分という広大な敷地に、7つの水産物卸売会社、そして約600の水産仲卸会社がひしめき合い、一日当たりの水産物取扱量は約1600トンにのぼるという、世界有数の巨大水産物マーケットである築地市場。本来であれば、今年11月2日に閉鎖され、豊洲に移転するはずだった築地市場の在りし日の姿を記録すべく……というよりも、「場外」と呼ばれる一般向けの区画はともかくとして、仲卸(なかおろし)業者が軒を連ねる、一般人立ち入り禁止の「場内」の知られざる実態に関する、単純な興味からスタートしたという本作。その中心にあるのは、色とりどりの豊かな海産物以上に、そこで働く個性豊かな人々の誇りと自信、そして愛嬌に満ちた姿だった。

 2012年に企画が立ち上がって以降、四季折々の築地を捉えるため、早い段階から1年にわたる長期取材を必須項目として掲げていたという監督以下制作スタッフは、「場内」の撮影許可を再三にわたって当局に打診。短期間ならばともかく、1年という前例のない長期取材の申し出に戸惑う当事者たちとの粘り強い交渉の末、2014年春、築地の水産仲卸で組織される「東京魚市場卸協同組合」、通称「東卸組合」から、撮影許可が認められたという。かくして、撮影期間約16ヶ月、総撮影時間602時間、総インタビュー数150以上、さらに編集に10ヶ月を要した末、ようやく完成した映画。それがこの、110分のドキュメンタリー巨編『TSUKIJI WONDERLAND/築地ワンダーランド』である。

 

 冒頭、空撮によって美しく切り取られた、緩やかにカーブを描く一角が特徴的な築地市場の建造物の外観をはじめ、この映画には謎に満ちた「ワンダーランド」たる築地市場の様子が、美しい映像によって克明に記録されている。一見、雑然としているようで、その実、ある法則性によってきっちりと統御された仲卸会社の店頭。そこに並べられた色とりどりの海産物。あるいは、人や物のあいだを縫うように走りまわる、「ターレ」と呼ばれる築地市場ならではの構内運搬車。そして、神秘的な冷気を立ち上らせながら整然と並べられたマグロなど、それらの光景は、いつまでも見ていて飽きない、独特な魅力を打ち放っている。

 しかし、本作の主役となるのは、そんな「場所」や「建造物」、あるいは「海産物」ではなく、あくまでもそこで働く「人間たち」なのだった。マグロやアナゴ、エビなど、それぞれの専門によって細分化された仲卸業者の人々。総勢80人以上の人々を取材したという仲卸の人々の生の声は、この映画の基調をなすものとなっている。そして、産地から水産物を荷受けし、セリや相対(あいたい)で仲卸や売買参加人に卸売する卸売会社の人々。さらには、「すきやばし次郎」をはじめ、仲卸のもとを訪れる、鮨職人や和食料理人、さらには外国からやってきた料理人たち。そして、15年に及ぶ研究の末、世界で初めて築地市場を多角的に分析した研究書を上梓したハーバード大学の文化人類学者、テオドル・ベスターをはじめ、料理研究家の山本益博、服部幸應など、文化的観点から築地を見つめる識者たち。

 

 「築地市場」というワンダーランドを舞台に、次々と登場しては、魚に対する熱のこもった思いと築地への思い、さらには食文化に対する思いを、それぞれの言葉で熱心に語る人々。その表情はみな、どこか誇らしげで、自信に満ちている。ある仲卸業者は言う。「俺たちは魚を売っているわけじゃない。信用を売っているんだ」。無論、彼らは屈指の「目利き」ぞろいである。しかし、彼らは「職人」ではなく、むしろ顧客のニーズを第一に考える「商人」なのだ。その意味では、「仲卸の人たちは、全員お店に来てくれた。私の料理を理解するために」という外国人シェフの言葉も印象的だった。買い手が、どんな料理のために、どんな魚を探しているのか。それを適切に見極めることが、仲卸という仕事にとって何よりも肝要なことなのだ。

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