門間雄介の「日本映画を更新する人たち」 第6回(中編)

山下敦弘と李相日の“奇妙な一致”ーー両監督の15年から探る、日本映画の分岐点(中編)

 新作『オーバー・フェンス』『怒り』が奇しくも同日に公開される山下敦弘と李相日は、2001年にそろって監督デビューするとすぐさま高い評価を受け、そのキャリアを順調に軌道に乗せていった。(参考:山下敦弘と李相日の“奇妙な一致”ーー両監督の15年から探る、日本映画の分岐点(前編)

 初監督作『どんてん生活』につづき03年『ばかのハコ船』、04年『リアリズムの宿』でも冴えない男の日常を切りとった山下は、この“童貞三部作”で早くも熱狂的な支持を受ける。一方、初監督作『青 chong』で朝鮮高校に通う男子高校生の青春を描いた李は、PFFスカラシップ作品として制作した第2作『BORDER LINE』を経て、いきなりメジャー作品の監督に抜擢された。村上龍の原作を映画化した東映製作の青春ドラマ『69 sixty nine』である。04年のことだ。

山下「李さん、『69 sixty nine』って予算どれくらいだったんですか?」
李「3億近いですよ」
山下「うわー!(笑)『BORDER LINE』って……」
李「2500万ぐらいかな。だから『69 sixty nine』は10倍ちょっとですね。僕がすごいというより、選ぶ方がどうかしてるというか(笑)」

 山下と李がはじめて顔を合わせた2011年の雑誌『EYESCREAM』におけるやりとりだが、大学の卒業制作作品だったデビュー作の公開からわずか3年で、製作費3億円近い作品を任された李の駆け足ぶりがよくわかる。

 『69 sixty nine』の脚本は宮藤官九郎。宮藤は初の連続ドラマ作品となる00年『池袋ウエストゲートパーク』で注目を浴び、その後売れっ子脚本家として、ドラマに映画に多忙を極めていた。彼が映画で初めて存在感を示したのは、金城一紀による直木賞作品を映画化した01年の東映作品『GO』だ。監督には長編デビューから間もない行定勲を抜擢し、日本アカデミー賞最優秀監督賞ほか8部門を制覇した成功体験が、宮藤脚本による青春小説の映画化という企画に再び東映を突き動かしたのだろう。となると、行定のときと同じく新鋭の抜擢も必須だ。そこで李に声がかかった。『青 chong』で見せた決して作家主義的でない、青春劇を扱うオーソドックスな手さばきが買われたためである。予算規模が一気に膨らんだ大作で李は安定感を示した。彼は独自の地歩を築きはじめる。

「ケンとアダマのイメージは僕の中で『明日に向って撃て!』のポール・ニューマンとロバート・レッドフォードだったんです。(中略)二人には『明日に向って撃て!』のDVD も見せました」

 雑誌『キネマ旬報』のインタビューによれば、『69 sixty nine』を撮影する際、李は主人公を演じた妻夫木聡と安藤政信のふたりに『明日に向って撃て!』のポール・ニューマンとロバート・レッドフォードを重ねていたという。同様に山下の“童貞三部作”にも彼の大好きなアメリカン・ニューシネマの影響は色濃い。

「70年代のアメリカ映画が好きなんですけど、男2人の話が多いんですよね。『真夜中のカーボーイ』とか。まわりの人たちがいなくなって最終的には2人だけになって、すごく寂しいんだけどこの2人はずっと繋がっている、という関係が憧れなんです」

 デビュー直後、山下が雑誌『SWITCH』のインタビューでこう語っていたとおり、“童貞三部作”は基本的に男たちの奇妙な関係性を下敷きにした物語だった。だから彼が少女たちの青春音楽劇『リンダ リンダ リンダ』を監督することになったとき、一部の人たちは驚きを隠さなかった。山下に少女が撮れるのか?

 『月光の囁き』『害虫』を手がけたプロデューサーの根岸洋之は、ブルーハーツのコピーバンドに取り組む少女たちの物語を企画し、監督の人選を進めていた。何人かの若い才能に当たりをつけるなか、『リアリズムの宿』のテンポ感や滑稽味にセンスを感じ、白羽の矢を立てたのが山下だった。脚本には大阪芸術大学の仲間で、ともに初期作を作りあげてきた向井康介が加わる。05年に公開された『リンダ リンダ リンダ』は、文化祭の数日間を舞台に「すごく寂しいんだけど」「ずっと繋がっている」ような4人の少女たちの関係を映しだす、紛れもない山下作品になった。山下の活動の幅は、これを機に広がっていく。

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