台湾は青春映画を作る才能の宝庫だーー『若葉のころ』が描く、二つの時代の恋模様

 昨年台湾で、タイトルである『5月一號』の通り、5月1日に公開された一本の青春映画は、日本では残念ながら1年以上経った5月末に公開になってしまった(5月1日に観たかった!)。日本での邦題は、劇中に使われるビージーズの名曲の日本タイトルと同様に『若葉のころ』。夏の始まりに相応しい瑞々しさに溢れた作品になっているのだ。

 ビージーズの「若葉のころ(First of May)」というと、やはりワリス・フセインの「小さな恋のメロディ」を思い出すだろうか。同じくビージーズが歌う主題歌「メロディ・フェア」と共に、映画史に残る伝説のヒロインであるトレイシー・ハイドの姿を思い起こすことができよう。筆者ぐらいの世代では、96年にKinKi Kidsの二人が主演した同名のドラマも同時に思い出すのである。いずれにしてもこの歌は、成長と共に過ぎ去っていく初恋や友情の思い出を歌った歌であって、哀愁漂うメロディと、シンプルな言葉で語りかけるような歌詞が、どことなくノスタルジィを感じさせてくれる。

 台北に住む17歳の女子高生・バイは、ピアノ教室を営む母・ワンと祖母の三人暮らし。ある日、ワンが交通事故に遭い意識不明の重体となってしまう。そんな折、ワンのパソコンに未送信のまま保存された一通のメールを見つける。それはワンが17歳の頃の初恋の相手であったリンへのメールだった。時を同じくして、設計事務所で働くリンは、実家の部屋からビージーズの「若葉のころ」のレコードを見つけ、高校時代のことを回想し始める。

『若葉のころ』より

 物語はバイが親友と男友達との三角関係に悩まされる現代と、1982年頃のワンとリンの恋模様が並行して描かれる。二つの時代を跨ぎ、母と娘それぞれの恋模様を描くという手法は、例えばクァク・ジェヨンの『ラブストーリー』や、同じ台湾映画ではリー・スーユエンの『オーロラの愛』でも使われている。アジアの青春ラブストーリーでこのような手法が定番になっているのは、たった一世代の違いだけで、その国の社会の様相が急激に変化しているということに他ならない。

 しかもその二つの時代が、ただバラバラに描かれるのではなく、きちんと繋がっているというのが面白い。現代で電車を降りたバイが病院に向かう道で、イエが後ろを付いてくる場面と、82年でワンとリンがバスを降りて雨上がりの道を二人で歩いている場面。どちらもそれぞれの恋の始まりを描く場面だ。82年ではリンがワンの弁当を勝手に食べてしまうが、現代ではイエがバイに朝食を買って渡す場面が登場する。それ以外にも数多くの場面で、デジャビュを感じてしまうのである。

 台湾映画史において、青春映画は欠かせないジャンルである。ホウ・シャオシェンの『恋恋風塵』とエドワード・ヤンの『クーリンチェ少年殺人事件』を筆頭に、イー・ツーイェンの『藍色夏恋』、最近ではギデンズ・コーの『あの頃、君を追いかけた』やチャン・ロンジーの『共犯』など、挙げていけばきりがない。いずれも思春期特有の苦しさや悩み、もしくは楽しい思い出などを、それぞれ異なるアプローチの仕方でノルタルジックに紡いでいるのだ。

 テーマは共通していても、同じ青春などひとつもなく、どれも個々で独立して輝いている。とくに自身の青春時代を映画に投影することも頻繁に行われており、まさに台湾は青春映画を作る才能の宝庫なのである。この『若葉のころ』の監督、ジョウ・グータイは64年生まれなので、ちょうど劇中の過去のシークエンスの登場人物と同世代ということになる。少なからずこの映画には彼の経験も反映されているのだろう。

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