『ヒーローマニア-生活-』と『キック・アス』、アクションシーンの違いを考察

 5月7日公開の映画『ヒーローマニア-生活-』は、福満しげゆき原作のコミック「生活【完全版】」を実写化した作品だ。東出昌大演じるヘタレのフリーター・中津が、窪田正孝演じる格闘マニアでニートの下着泥棒・土志田たちと自警団“吊るし魔”を結成し、巨大な騒動を巻き起こす姿をポップで軽快なヒーローアクションとして描いている。

 “コミック原作”“自警団モノ”“ポップなヒーローアクション”といった要素から、日本でもヒットした『キック・アス』を思い浮かべる方も多いはず。マーク・ミラー原作の同名コミックをもとにした同作では、さえないオタク青年が美少女ヒーロー“ヒットガール”と出会い、覆面ヴィジランテとして活躍する。『ヒーローマニア』は同作を引き合いに出し、予告編でもスタイリッシュなアクションやカラフルなビジュアルを前面に押し出している。表面上はまさに和製『キック・アス』と言ってもいい。しかし、作品の根本的な構成要素であるアクションにおいて『キック・アス』と大きく異なるアプローチで作られているため、似て非なる作品に仕上がっているのである。ここではこの2作を比べながら違いを語っていこう。

 

 アクションで物語を語る『ヒーローマニア』『キック・アス』のヒットガールと同じく、『ヒーローマニア』の土志田は後ろ回し蹴りや飛びつき腕十字などのアクロバティックな技を使いこなし、腕から射出されるワイヤーで華麗に宙を舞う。『キック・アス』でザ・プロディジーの「OMEN」が血沸き肉躍る場面を盛り上げるように、『ヒーローマニア』では『告白』(中島哲也監督)などで知られる音楽プロデューサー集団・グランドファンクによるバリエーション豊かな楽曲がアクションを彩る。どちらもスタイリッシュでアツいヒーロー映画であることは間違いない。

 しかし、2作が同じ方向性を見せるのは物語の前半まで。『ヒーローマニア』では“吊るし魔”のメンバーたちが生命をかけた危険な局面を迎えるところでスタイリッシュさはなりを潜め、生々しく泥臭い闘いが繰り広げられていく。象徴的な例が、黄色いレインコートの怪人と中津&土志田のバトルだ。冒頭のこのシーンでは、土志田がパルクールじみた動きで飛び回り、バックにはコミカルな音楽が流れる。しかし、同じ時間軸を描く後半のシーンでは、悲壮な音楽を背に華麗さとは程遠い殺し合いが行われるのである。冒頭では物語に没入させるクールなアクションを見せ、後半ではその場面が深刻なものであったことを明かすのである。

 豊島監督は「アクションをなくしても成立する映画にはしたくなかった」とインタビューで語っている。つまり、同作ではアクションがセリフや表情などと同じく、物語を語っているのだ。よく注意して観れば、カッコいいだけに見える前半のシーンも、キャラクターの説明や感情表現につながっていることがわかるはず。一方の『キック・アス』は、シリアスな展開を迎える後半で、ヒットガールのカッコよさが目立つカタルシスあふれるアクションに偏重していく。

“キャラクターの性格を作る”アクション

 

 『ヒーローマニア』では、主人公・中津の情けない性格を表すため、幾度となく“頭をぶつける”というアクションが採用されている。また、下着泥棒であり、独学で格闘を学んだと思われる土志田は、流麗だがどうにも変態的なムーブで戦うのである。豊島監督によれば、登場人物の性格に反しない動きを殺陣師の森崎えいじ氏が考え、各俳優に当てはめていったという。キャラクターの性格を説明するようにアクションが配置されているのだ。

 こういった視点で観ると、『キック・アス』のクライマックスには違和感を持たざるを得ないアクションが登場する。主人公のキック・アスは“負け犬から這い上がるためにヒーローを志す”という一面を持っているにも関わらず、その設定に不釣り合いな、アクションのカッコよさを優先した“ある一線を越える”行動に出てしまうのだ。『ヒーローマニア』のラストは『キック・アス』のような大仰なものではないが、主人公たちが“負け犬から這い上がる”小さな一歩を踏み出すために、現実感のある闘いに挑む。

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