80年代ハリウッドを席巻ーー『キャノン フィルムズ爆走風雲録』が描く、ある映画人の一代記

ヒラ・メダリア

 本作の公開に合わせて来日した、イスラエル出身の映画監督ヒラ・メダリアは、今回のドキュメンタリー映画にまつわるエピソードとして、次のようなことを語っていた。「最初にふたりと会ったときに驚いたのは、こちらの質問に対して、ふたりがまったく違う答えを返してくることでした。しかも、それについて、私のことはそっちのけで、延々議論し始めたりする(笑)。非常にオープンな性格で楽観的な情熱家ゴーランと、人間関係も含めてすべてが慎重な沈思黙考型のグローバス。ある意味、水と油とも言えるふたりのバランスこそが、キャノン・フィルムズを成功に導いていったのでしょう」。さらに、映画のなかでゴーランが怒り出すシーン……「失敗作はありますか?」という監督の質問に対して、ゴーランが頑なに返答を拒むシーンについて、彼女はこんなふうに語っていた。「結局彼は、失敗については何も応えてくれなかったわ。というのも、彼の辞書には“失敗”の文字がないから。それは“成功”についても同じで……『お気に入りの映画はどれですか?』という私の質問に、彼は常にこう応えていました。『私の最高傑作は、今私が作っている映画だ!』ってね。80歳を越えてもなお、彼は常に前を向いている。未来のことしか頭にない人なのよ(笑)」。

 しかし、今回のドキュメンタリーでも描かれているように、年を追うごとに資金面で窮地に立たされるようになったキャノン・フィルムズは、『スーパーマン4/最強の敵』の興行的な失敗によって、実質的な倒産状態に陥ってしまう。そして、それを契機にゴーランはグローバスと袂を分かち、キャノン・フィルムズを去ることになってしまうのだ。以来、数年前にニューヨークで行われたレトロスペクティヴの会場で言葉を交わすまでの数十年間、ふたりは一切連絡を取り合うことがなかったという。いわばふたりは、ある種の緊張関係にあったのだ。しかし、今回のドキュメンタリーの製作を通じて、再び言葉を交わすようになり、本作のお披露目となった昨年のカンヌ映画祭には、ふたりそろって仲良く登壇。そう、本作はキャノン・フィルムズの歴史を描いた作品であると同時に、かつて志を同じくして、苦労と喜びを分かち合いながらも、やがて袂を分かってしまったふたりの男たちの再会の物語でもあるのだ。過去を語ることによって、次第に融和してゆくふたりの関係性。その意味で、本作のラストシーンは、実に感動的なものだった。貸し切りの試写室で、かつて自分たちが作った映画をポップコーン片手に観るシーン。ここでもまたふたりは喧々諤々意見を交わし合うのだった。ちなみに、先述のカンヌ映画祭の3ヶ月後、メナヘム・ゴーランは85歳で、この世を去ることになる。その意味でも本作は、貴重なドキュメンタリーと言えるだろう。

メナヘム・ゴーラン

 現在、シネマート新宿とシネ・ヌーヴォ(大阪)で同時開催している「メナヘム・ゴーラン映画祭」では、『キャノン フィルムズ爆走風雲録』のほか、「メナヘム/キャノン」関連の映画が数多く上映されている。日本でも大ヒットした青春グラフィティ映画『グローイング・アップ』(1978年)、ジョン・カサヴェテス監督晩年の傑作『ラヴ・ストリームス』(1984年)、ショー・コスギを一躍アクション・スターに押し上げた『ニンジャ』(1984年)、トビー・フーパー監督による異色SFホラー『スペース・バンパイア』(1985年)、ミッキー・ロークが主演したブコウスキーの自伝的映画『バーフライ』(1987年)、ジャン=クロード・ヴァン・ダムの初主演作『ブラッド スポーツ』(1988年)などなど。「これもキャノンだったのか!」と思わずにはいられない脈絡のないラインナップではあるものの、このヴァラエティこそが、「メナヘム/キャノン」の醍醐味なのだろう。正直、必ずしもすべての映画が名作とは言い難いけれど、『キャンノン フィルムズ爆走風雲録』を観たあとならば、きっと新たな発見や感じるところが多いであろうそれらの映画を、是非ともこの機会にスクリーンで堪能することをお勧めしたい。1980年代を猛スピードで駆け抜けていった男たちの「映画愛」が、そこに刻み込まれているから。

(文=麦倉正樹)

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