興行収入好調の『海街diary』は、新しいプロデューサーシップの到来を告げるか?

『海街diary』と新しいプロデューサーシップ

 既存の映画製作システムがなしくずしに崩壊してゆくなかで、いち早く状況に対応したのは1973年に映画調整部をもうけた東宝であり、1969年に『御用金』で映画製作を始めたフジテレビである。この2社が現代の日本映画を牽引していることはいうまでもない。プロデューサー主導にもとづく一年を通じた番組編成において、ドラマからバラエティまでを組んできたテレビ局が、映画産業のかつてのシステムを継承してきたともいえる。

 そうして同業各局に先鞭をつけたフジテレビの映画事業が、同局のテレビシリーズ『踊る大捜査線』(1997年)の劇場版で、日本の映画産業に風穴を開けたことはまだ記憶に新しい。シネコンやネットの普及などの時期を経て、第1作(1998年)が興収101億円、第2作(2003年)が同173億円と文字通り桁違いのヒットを記録した。テレビと映画の境界をなかば無効化させ、日本映画劣化論の象徴となるなど、その功罪はさまざまに議論されてきた(日本映画チャンネル編『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』、幻冬舎新書)が、日本映画に観客を呼び込む素地を作ったのは確かである。2006年には日本映画と外国映画のシェアが逆転した。

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(C) 2015 吉田秋生・小学館/フジテレビジョン 小学館 東宝 ギャガ

 これを仮に日本映画史のひとつのエポックとするなら、それからまだ10年と経っていない。『海街diary』は、現代のテレビ局主導の製作委員会方式における最も豊かな作例のひとつであると私は確信しているが、いま重要なのは、予算規模の二極化を、そのまま娯楽性(商業性)と芸術性(作家性)の二極化として語るべきではないということである。インディーズでも娯楽作品は多々あるし、またテレビ局主導でも良質な作品はいくつも存在しうる。予算の多寡に質的断絶を見て取ることは頽廃でしかない(そもそも娯楽と芸術の線引きはきわめてあいまいなものである)。商業性と作家性という二元論のくびきから、いま離れる必要がある。望ましいのは、純文学と大衆文学のあわいをゆく中間小説ならぬ「中間映画」の充実であり、石飛記者が先の文章の表題を「ヒットと芸術、両立に道筋」としていることは、この意味で解さなければならない。

 テレビから映画へ「逆輸入」されたプロデューサーシステムがいま再構築の段階にあるのだとするなら、それはひとりの固有名が突出するような辣腕の出現を意味するものではないだろう。『そして父になる』では、まさに『踊る大捜査線』を手掛けた亀山千広プロデューサーの名前がクレジットされていたが、『海街diary』にその名前はない。このことが、たとえば新しいプロデューサーシップの到来を告げるものであるとすれば、これからの日本映画は新しい局面を開いてゆくだろう。

■萩野亮 
映画批評。1982年生。ドキュメンタリーマガジンneoneo編集委員、立教大学ほか非常勤講師。編著に『ソーシャル・ドキュメンタリー 現代日本を記録する映像たち』(フィルムアート社)、共著に『アジア映画で〈世界〉を見る 越境する映画、グローバルな文化』(作品社)など。「キネマ旬報」星取評ほか、雑誌、パンフレットなどに寄稿。

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