A24史上最大のヒット映画『Backrooms』でも注目! ネット発の新たな概念 “リミナルスペース” とは?

 いま最も話題を集めているホラー映画の一本は、20歳の新人監督が手がけた作品だ。5月29日に北米で公開された『Backrooms』が、公開初週末に興行収入1位を記録するとともに、現在、配給を担うA24史上最大のヒット作となっているのだ。監督ケイン・パーソンズの若き才能も、映画ファンのあいだで大きな話題を呼んでいる。

 なお、5月15日に公開された、26歳のカリー・バーカーが監督のホラー映画『オブセッション 災愛』もスマッシュヒットを記録しており、A24が牽引してきた近年のホラー映画の潮流はいよいよ次世代へも引き継がれつつあるようだ。本記事では、日本公開も決定している『Backrooms』を前に、その出発点となった都市伝説「バックルーム」について振り返っておきたい。

 映画『Backrooms』の原点は、ケイン・パーソンズが2022年にケイン・ピクセル名義でYouTubeに投稿した短編映像『The Backrooms (Found Footage)』にある。現在8500万回以上視聴されているこの動画だけでなく、彼は複数の「バックルームもの」の動画を制作しているのだが、その背後には「バックルーム」というインターネット発の都市伝説が存在する。

インターネット美学「リミナルスペース」とは

 この「バックルーム」について知るのに格好の手引きとなるのが、書籍『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』(ALT236著、佐野ゆか訳、フィルムアート社、2025年)だ。リミナルスペースとは、近年インターネット上で流通するようになった言葉で、深夜の誰もいない空港ロビーや薄暗い地下鉄の通路など、本来は目的地へと向かう途中に通過するだけの空間を指す。

 こうした場所は、ノスタルジーや根拠のない不安、名状しがたいメランコリーを見る者に呼び起こす。XやInstagramにはリミナルスペースの写真を専門に投稿するアカウントが存在し、居心地の悪さと奇妙な懐かしさが同居するそのヴィジュアル・イメージは、多くの人を静かに魅了する現代的なコンテンツとなっている。

 YouTubeクリエイターでもある著者のALT236は、リミナルスペースが建築・美術・映画・ビデオゲームなど多様な領域に根を持ちながら、独自の文化現象として成立していると解説する。同書は豊富なイラストも特徴的な、視覚的な楽しさも備えた一冊だ。

 「バックルーム」については、同書第3章以降で、詳しく取り上げられている。その起源は2019年、ある匿名ユーザーが英語圏の掲示板サイト4chanに投稿した一枚の写真だった。黄ばんだ壁紙と古いカーペットが無限に続く、誰もいないオフィス空間の画像。その投稿に続き、以下のようなクリーピーパスタ(インターネットで流布する現代版の怖い話)が添えられることとなった。

うっかりして、間違った場所で現実からノークリップ〔壁抜け〕してしまうと、バックルームに迷い込むことになる。古い湿ったカーペットの悪臭、狂気じみた一面の黄色、蛍光灯が唸り続ける終わりのない背景音だけの、6億平方マイルに及ぶ無作為に区切られた無人空間に、あなたは閉じ込められてしまったのだ。/もし近くで何かがうろついている音を聞いてしまったら、神に祈るしかない。そいつは間違いなく、あなたの存在に気づいているのだから。(『リミナルスペース』、109頁)

 この投稿をきっかけに無数の想像力が刺激され、「現実から迷い込んだ異空間」という設定をもった膨大なコンテンツが生まれることとなった。短編動画、ゲーム、小説など、バリエーションは多岐にわたる。パーソンズの短編映像もその一つであり、映画『Backrooms』はその延長線上に位置している。

 日本でも同様の現象が起きている。昨年公開された『8番出口』(監督・川村元気、配給・東宝)がその好例だ。異変を探して脱出を試みる同名ゲームの実写化作品である映画は、二宮和也と小松菜奈といったスターを起用。設定の斬新さが話題を呼び、国内でもヒットを記録した。

 ちなみに、映画『Backrooms』も、主演に人気俳優のキウェテル・イジョフォーとレナーテ・レインスヴェを、プロデューサーに数多くのホラー映画を手がけてきたジェームズ・ワンを据えている。この強力な布陣もヒットの一つの要因になっているだろう。

最適化された情報環境への反動?

 では、なぜこれほど多くの人が「バックルーム」や「リミナルスペース」といったコンテンツや現象に惹きつけられているのだろうか? いったい人々はどのような点に心を掴まれているのだろうか?

 パーソンズの短編映像では、映画制作の現場を撮影している最中に、カメラが落ちて異世界に迷い込んでしまうという描写がある。この「落ちる」という感覚が、ひとつのヒントかもしれない。アルゴリズムが趣味嗜好を先回りし、自分が見たいものだけを延々と見ることができるようになった快適な現代において、実は人々は足場が抜けるような、不自由な感覚をむしろ進んで求め、楽しんでいるのではないだろうか。

 最適化された情報環境のなかで、私たちはいつのまにか「驚かされる自由」を失っている。どこへ行っても既視感のあるコンテンツが迎えてくれる世界では、「知らない場所に迷い込む」という体験そのものがある種の贅沢になってしまった。バックルームやリミナルスペースへの熱狂は、そんな状況への反動として読むこともできる。制御された情報空間の裏面に口を開けた、宙吊りの世界——バックルームの魅力はそこにあるのではないだろうか。

 映画『Backrooms』の予告映像を見ると、悪臭ただようじめついたカーペットというより、A24作品に通底するスタイリッシュで洗練されたビジュアルが際立っているように感じられる(ただし前者的なモキュメンタリー風の映像もいくつか織り交ぜられている)。都市伝説の粗削りな質感が映画的な美学へと変換され、それらと融合したとき、不自由な感覚を求める人々の想像力は映画館という暗闇でどのような体験へと結実するのだろうか——日本公開をいまから楽しみに待ちたい。

■書誌情報
『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』
著者:ALT236
訳者:佐野ゆか
価格:3,740円(税込)
発売日:2025年9月26日
出版社:フィルムアート社

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