強がっていた心の本音がほどけ、傷ついた自分を愛せるようになる『リカバリー・カバヒコ』の優しさ

 青山美智子の作品には、読後に心のこわばりがほどけていくような温かさがある。その魅力は、ファンから愛を込めて「青山美智子ワールド」と呼ばれてきた。そんな世界観の真骨頂とも言える連作短編集『リカバリー・カバヒコ』が、5月12日に文庫化された。

 2024年本屋大賞にもノミネートされた本作。文庫版が発売されるやいなやオリコン週間文庫ランキングで2週連続1位(2026/5/25付、6/1付)を獲得し、改めて多くの読者の心を掴んでいることを証明した。

舞台は公園、癒やしの都市伝説

 物語の舞台は、5階建ての新築分譲マンション「アドヴァンス・ヒル」の一角にある日の出公園。いつから置かれているかわからない、古びたカバのアニマルライド「カバヒコ」には、不思議な都市伝説があった。自分の治したい部分とカバヒコの同じ部分を触ると回復するというのだ。

 進学校に入学した途端に振るわない成績に打ちのめされる高校生。ママ友と話を合わせるうちに自分の言葉を発言できなくなった元アパレル店員。仕事や恋のストレスによって、耳に不調を抱えるようになってしまったブライダルプランナー。クラスの駅伝選手に選ばれないようにと嘘をついたことで本当に足が痛くなってしまった小学生。老いた母との関係をこじらせてしまった雑誌編集長……。

 年齢も性別も、そして置かれている立場も抱える悩みもバラバラだ。なのに、どの登場人物に対しても「わかるわかる」と共感せずにはいられない。それは、悩みの本質が一本貫かれているからだろう。

カバヒコの前だからこそ、さらけ出せる本音

青山美智子『リカバリー・カバヒコ』(光文社文庫)

 人はいい格好をしたい生きものだ。それゆえに「辛い」とか「寂しい」とか言いたくないし、傷ついた自分を悟られたくない。状況を打破したいけれど、格好悪い自分をさらけ出すこともできない。素直に言葉を発する勇気が持てない。けれど、そんな自分を取り繕おうとすればするほど、その苦悩は深まっていく。

 必死に誤魔化していくうちに心の歪みが生まれていく。それは、そのまま体の痛みになって表面化していく。そうなっていよいよ自分と向き合わなくてはならないことに、気がつくのだ。

 何も言わず、いつも同じ表情でいるカバヒコ。だからこそ、相手の顔色を伺うことなく、自分の本音をさらけ出すことができる。カバヒコは、ただそれを受け止めるだけだ。もしカバヒコに本当に回復の力があるとすれば、それは登場人物たちの間で巡る“優しさ”かもしれない。

 物語の終盤では、カバヒコの都市伝説が生まれた背景も明らかになる。痛みを抱えていることが分かる。でも、その人の心の傷には直接触れることができない。だから、カバヒコという存在が、その傷を癒すひとつのきっかけになってくれたら――。

 そして、そのカバヒコをきっかけに傷が癒えると、また次の誰かにそのバトンが渡される。“自分が救われた分、自分と同じように苦しんだ人の痛みも和らぎますように”という願いのようなバトンが。その連鎖を感じることそのものが、読んでいる私たちの心の固くなった部分のシワや、弱ってしまった寄れを伸ばしてくれるような感覚にもなる。

カラフルな糸が、私たちの心を強くする

 この物語が教えてくれるのは、心の「ダーニング」だ。ダーニングとは、古くからヨーロッパで親しまれてきた針仕事のこと。毎日使う衣類は、引っかけたり擦り切れたりして、少しずつ傷んでいく。ダーニングは、その傷をなかったことにするのではなく、あえてカラフルな糸で繕い、「もとに戻す」よりも「新しい形」として楽しもうとすること。

 カバヒコのもとに回復を求めてやってきた人々も、次第に気がついていく。悩みが生まれる前の自分に戻ろうとするのではなく、悩んだ経験やその記憶があるからこそ、前とは違う自分として歩んでいくことができるのだ、と。

 そのカラフルな糸で繕われていくような一人ひとりのエピソードが、また鮮やかで清々しい。あるときはまるで青春ドラマのようにキラキラと眩しく、あるときはキュッと胸が締め付けられるラブストーリーのように切なく、あるいはヒューマンドラマのようにほろっとさせられる展開もある。どの世代が読んでも、そしていつ読み返しても引き込まれることだろう。

 誰もがひょんなことに引っかかって、あるいは毎日の少しずつの摩耗で、心を傷つけてしまう瞬間がある。その傷をなかったことにするのではなく、その傷があったからこその自分を楽しめたら――。青山美智子は『リカバリー・カバヒコ』を通じて、私たちにそんな温かなエールを贈ってくれているようだ。

 カバヒコの都市伝説を教え合う人々のように、今まさに痛みを抱えていそうな誰かに、この本をそっと手渡してもいいだろう。本の中から、現実の世界へ。その優しさの連鎖が広がっていくことまで含めて、この物語は温かい。そして、カバヒコに会いに行くように、きっと何度もこの本を開きたくなるのだろう。そのたびに、カラフルな糸が私たちの心を強くしてくれるのを感じながら。

■書誌情報
『リカバリー・カバヒコ』
著者:青山美智子
価格:880円
発売日:2026年5月12日
出版社:光文社
レーベル:光文社文庫

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