カラヴァッジョはなぜ人々を惹きつける? 中野京子に聞く、「天才ながら成長しない」画家の生涯
2025年に開催された大阪・関西万博。バチカンパビリオンでは目玉として、イタリアの画家・カラヴァッジョ(1571-1610)の傑作『キリストの埋葬』が来日した。多くの人が足を運び、カラヴァッジョの日本での知名度も高まったことだろう。
この度、ドイツ文学者の中野京子が、『中野京子と読み解く カラヴァッジョと惨劇のローマ』(文藝春秋)を上梓。その強烈な作風とリンクするかのような、画家の壮絶な生涯を作品とともに紹介する、カラヴァッジョ入門としてもうってつけの本だ。カラヴァッジョは、なぜわたしたちを惹きつけるのか。中野に話を聞いた。
死刑宣告、逃亡、そして客死――「絵画史随一の暴れん坊」の素顔
ーー中野さんはこれまでフェルメール、クリムトの本を出されていますが、ついにカラヴァッジョですね。
中野京子(以下、中野):もともとカラヴァッジョについて書く予定はありませんでしたが、そういえばまだ書いていないな、作品はもちろんその生き方も面白いのに書かないのはもったいない、と思い、手がけました。
ーー本書を読むと、カラヴァッジョに関する資料は意外にもたくさん残されていることがわかります。
中野:例えば少しあとのフェルメールは、どうやって生きて、誰に絵を学んだかなど、ほとんどわかっていません。それに比べるとカラヴァッジョは一次資料も多く、幼少期をのぞいてその半生がかなりわかってきています。
ーー絵画史でも随一の暴れん坊ですよね。
中野:史料に当たると、カラヴァッジョが激情型の人だったことがよくわかります。道ですれ違っただけで熱くなり、喧嘩沙汰になってしまうような人でした。
ミラノの下町で生まれたカラヴァッジョは、放浪を経て20代でローマに移ります。その頃になるとパトロンにも恵まれ、創作も精力的にこなしますが、悪い仲間をつくって敵対グループとの暴力三昧でもありました。
ーー常に刃物を持ち歩いていて、それで逮捕されることも多かったとか。そしてついに人を殺めてしまう……。
中野:対立グループと賭けテニスをしたことが原因で小競り合いとなり、その結果傷を負った相手の一人が命を落とします。
ーーそれでカラヴァッジョもローマにいられなくなったと。
中野:絶命した相手が、運悪く有力者の息子だったのです。そこで、今では信じられませんが、カラヴァッジョを見つけ次第殺してもいいという「バンド・カピターレ」が布告されました。彼を捕まえたら報奨金も出るだろうし、カラヴァッジョはローマ中の半グレから狙われることになる。彼はローマを逃れるしかありませんでした。
ローマから別の都市へ逃げれば助かる、というのはアメリカ合衆国の「州法」に近いかも知れませんね。映画にも描かれていますが、州境をこえたら管轄の違う保安官はそれ以上犯人を追いかけられない。それに少し似ています。
ーーカラヴァッジョはずっと騎士に憧れていたそうですね。
中野:逃避先のマルタ島で、念願だったマルタ騎士の称号を得ることになるのですが、騎士団内で暴力事件を起こし、地下牢に投獄されてしまいます。カラヴァッジョはどうやら一ヶ月ぐらい入っていたらしいですが、その牢屋はいま観光地になっています。
ーー騎士に加入していた時代は、作品が少ないですね。
中野:そうですが、傑作『洗礼者ヨハネの斬首』はこの頃のものです。ところがせっかくすごい作品を描いてもそのすぐ後に、また暴力沙汰を起こしてしまう。カラヴァッジョには、そういうパターンがありますよね(笑)。宿命みたいなものを感じます。「年齢的にもそろそろ落ち着いたらいいのに」と思ってしまいますが、それができない。
ーーその後シチリアで過ごしたカラヴァッジョは、ついにその地にもいられなくなり、小型船と船員をチャーターして再びローマを目指すそうですが……。
中野:船はローマを少し通り過ぎた小さな漁村に到着してしまい、そしてカラヴァッジョは何を思ったのか一人で先に船を降りてしまいます。彼の風貌を見て怪しんだ現地の守備隊に逮捕され、おまけに作品を載せた船ごと逃げられてしまう。これもカラヴァッジョらしい、すごい話ですよね。そしてそこで命運も尽き、熱病にかかったカラヴァッジョはついにローマへ帰ることなく、38歳でこの世を去りました。
ルーベンスにも影響を与えたイタリアの異端児
ーー波乱の生涯ですが、それを表すようにカラヴァッジョの作品からはどこか「強さ」を感じます。
中野:カラヴァッジョは荒くれ者で、人も殺めているのに、彼の作品は聖堂に飾られる。こんな画家は他にいませんし、他の国ではこんな扱いはされないのではないでしょうか。イタリアの面白さですよね。
ーーイタリアだからこそ受け入れられた?
中野:彼がイギリスやフランスに生まれていたら、受け入れられなかったはずです。絶対に嫌がられたでしょう。今でこそ作品が来日するたびに注目を集めますが、カラヴァッジョが日本で受容されるのに時間がかかったのも、もしかすると同じ理由だったかもしれません。
ーーカラヴァッジョが絵画史に与えた影響は。
中野:カラヴァッジョがいなかったら、もしかしたらルーベンスもいなかったかもしれない。ルーベンスの表現は洗練されているためわかりにくいですが、人物配置などはカラヴァッジョから影響を受けていると思います。
ーー万博で来日した一枚も、後年ルーベンスに模写されているそうですね。
中野:『キリストの埋葬』ですね。ただそのまま模写するのではなく、ルーベンスは人を減らしたり、キリストを抱える手をより自然な位置にずらしたりしています。
ーーカラヴァッジョの絵は、時間をかけて見るほど発見がありますよね。よく見ると人物の指先に泥がついていたり。
中野:ワインのフラスコに顔が映り込んでいたり。あれだけ細かい絵なのに、あのスピードで描くのは本当にすごい。逃亡資金を稼ぐために描いた作品などは、特に早描きだったようです。
ーーカラヴァッジョは人物画も美しいですが、静物画も素晴らしいと思います。わたしもミラノで『果物籠』を見たときは感動しました。
中野:そうなんですよ。あの絵でいいパトロンがついて、人気を博してゆきます。よく見ると果物が傷んでいたり、葉に虫食いがあったり、実に細かい。
ーー画家は自分の技巧を示すために、わざと蠅を描き込んだりしますよね。
中野:そう、実際に蝿もよく飛んでいたんでしょうね。カラヴァッジョの場合、『エマオの晩餐』はモデルの動きがちょっとこれ見よがしなところがある。もう少し抑えて描いてもいいとも思います(笑)。こういう大袈裟な作風を、日本人は苦手かもしれませんね。
ーーカラヴァッジョの作品は、鑑賞者を選ぶ?
中野:フェルメールなら誰が見ても、少なくとも嫌わないでしょう。でもカラヴァッジョのあからさまな作風を苦手な人はいるでしょう。実にイタリア的な画家だと思います。彼をまず真似したのもイタリアの画家たちです。例えばジェンテレスキ親子。娘のアルテミジアは『怖い絵』でも扱った『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』に見られるように、カラヴァッジョから影響を受けた凄まじい絵を残しています。
残酷で美しいカラヴァッジョとローマーー聖性と官能が同居する謎
ーー中野さんが好きなカラヴァッジョの作品はなんでしょう。
中野:『聖マタイの召命』です。ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂で見たとき、本当にすごいなと思いましたね。そこに描かれているイエスは、どの画家のイエスより男性的な魅力にあふれています。
ーー同じ教会に飾られている『聖マタイの殉教』について、本書であるフランスの作家による見立てが紹介されていますが、その内容には驚きました。
中野:その作家は、死刑執行人に聖マタイが殺害される凄惨な場面を、実は聖マタイは刺客に恍惚としているのでは、と捉えています。確かにカラヴァッジョは同性愛者だったと言われていますが、こういった解釈は目から鱗でした。
ーーカラヴァッジョ研究には、こういった視点がこれからもっと必要になってきますね。
中野:ただ、カラヴァッジョは同性ばかりでなく、女性もまたエロティックに描くことができました。肌の質感が生々しい。ティツィアーノの描く女性ヌードの肌合いも美しいですが、それを彷彿とさせます。同性ばかりでなく、女性もここまで官能的に描けることには、ちょっと謎が残ります。もしかしたらカラヴァッジョは、女性に触れずに崇めていたのかもしれない。
ーー中野さんがほかにお好きな画家は?
中野:ゴヤもすごい画家ですよね。いままさに『オール讀物』でゴヤについて連載しています。彼も自分の才能を信じ、自尊心の強い画家でした。その点はカラヴァッジョと似ていますが、ゴヤのほうは抜け目なく世間を渡ってゆくことのできるタイプでした。そこがまた違った意味で面白い。そしてカラヴァッジョの倍以上も長生きました。
ーー今回のカラヴァッジョは、中野さんにとってどのような位置付けの一冊になったのでしょうか。
中野:これまで「画家」と「時代」をテーマに、『フェルメールとオランダ黄金時代』、『クリムトと黄昏のハプスブルク』と書いてきました。画家の生涯や作品を紹介するだけでなく、彼の生きた時代をも描いてみたいと思ったのです。『カラヴァッジョと惨劇のローマ』についても、「こんな時代のこんな国だから生まれた画家だったのだ」と感じてもらえると嬉しいです。
最後になりますが、とにかくカラヴァッジョの人生は小説みたいに面白い。彼自体が面白いというよりは、ここまで裏表なく生きた人間、ある意味、成長しない人間だからこそ、こういう人生行路になってしまったということの面白さでしょうね。こうした人間が天与の才能を与えられたというのも不思議な面白さです。
万博でカラヴァッジョを知った方にも、ぜひ本書も読んで、彼の人生にも触れてほしいですね。
■書誌情報
『中野京子と読み解く カラヴァッジョと惨劇のローマ』
著者:中野京子
価格:2,200円
発売日:2026年3月25日
出版社:文藝春秋