怪談沼の歌人・木下龍也が激推し! 『こどこわ』蛙坂須美と戦慄対談「この本に出会う人は幸せで、不幸だ」

 体験者への取材をもとに執筆される“実話怪談”。そのジャンルで異例のヒットを飛ばしているタイトルがある。蛙坂須美(あさか・すみ)の『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』(竹書房怪談文庫)だ。子供時代の記憶に刻まれた、説明のつかない体験談の数々。読者をセピア色の恐怖に包み込む同書について著者の蛙坂と、大の怪談好きとして知られる人気歌人・木下龍也(きのした・たつや)に語り合っていただいた。(司会・文=朝宮運河)

歌人・木下龍也が絶賛する怪談本との出会い

木下龍也氏

――木下さんは怪談が相当お好きだそうですが、竹書房怪談文庫も日常的にチェックされているんですか。

木下龍也(以下、木下):はい。書店に行くたびに怪談文庫のコーナーを眺めて、以前見たときと違う部分を見つけたら手に取るという感じですね。蛙坂さんの存在はどこで知ったんだったかな。確か『null-geist』という本だったと思います。

蛙坂須美(以下、蛙坂):鈴木捧さんとふうらい牡丹さんと私の共著ですね。しかも一般流通していない、かなりマニアックな本。そんなところまでチェックされているんですか!

木下:そこから蛙坂さんに注目して、初単著の『怪談六道 ねむり地獄』(竹書房怪談文庫)も読ませてもらって。とても面白かったので、『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』(以下『こどこわ』)も出てすぐに読みました。私は短歌の人間で、怪談の専門家でも何でもないんですが、選書を依頼された際には必ず『こどこわ』を入れるようにしています。そのくらい蛙坂さんの怪談が好きですね(笑)。

蛙坂:TBSラジオの『アフター6ジャンクション2』でも紹介してくださって、ありがとうございました。聞いていた知人が教えてくれて、飛び上がるほど驚きました。

蛙坂須美『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』
(竹書房怪談文庫)

木下:おそらく番組側としては歌集の選書を望まれていたと思うのですが、勝手に「恐怖」というテーマを設定して『こどこわ』も紹介しました。しかし薦めておいて言うのも何ですが、蛙坂さんの本が最初の怪談本になる人は幸せでもあり、不幸でもあると思うんです。ここまでのレベルに達している怪談本は滅多にないから。

蛙坂:怪談好きの木下さんにそこまで言っていただけるとは、光栄です。

木下:この本は「子供の頃の体験談」というテーマ設定がいいですよね。記憶や経験と重ね合わせて、「もしかしたら自分もこうなっていたかも」と思いながら読むことができる。キャッチーなテーマだと思います。

蛙坂:実はあらかじめテーマを決めていたわけではないです。あらかた書き上げた原稿を担当さんに送ったら、「子供時代の話が多いですね」という感想をもらって、数えてみたら半分ほどが子供時代のエピソードでした。子供の頃の怖い話というのは、朱雀門出(すざくもん・いづる)さんの名作「オーグリーンは死にました」をはじめ先例がいくつもあるんですが、それをテーマにして編まれた本はまだない。じゃあやってみようと。そこから子供時代の体験談にテーマを絞って、取材をさらに進めていきました。

子供時代の記憶はなぜ“怪談”になりやすいのか

蛙坂須美氏

木下:実話怪談は取材ありきですから大変ですよね。子供の頃の体験談って集まるものですか?

蛙坂:怪談はないですかと尋ねると大抵「ないです」と即答されるんですが、子供の頃にちょっと変な経験をしたことがないですか、と尋ねると結構な割合で「ある」という答えが返ってきて、取材に関してはいつもより楽なくらいでした。木下さんは何かそういう体験はないですか。

木下:きっと聞かれるだろうと思って考えてきたんですが(笑)、残念ながらひとつもないんです。みんなこんな体験をしてるのかと読んでいて羨ましくなりました。前に書かれた『ねむり地獄』は夢がテーマで、今回は子供時代の体験。共通しているのはどちらも記憶の不確かさを扱っていることですね。そういう曖昧な記憶は、誰しも持っていると思うんです。この本に書かれているような恐怖体験でなくとも。蛙坂さんの怪談を読んでいると、その空白地帯を刺激される気がします。

蛙坂:記憶っていうのは自分の中でも大きいテーマです。心理学者の越智啓太さんという方が書いた『つくられる偽りの記憶 あなたの思い出は本物か?』という本があって、そこに興味深い実験が報告されています。「あなたは子供の頃、迷子になった経験がありますよね」と被験者に質問するんですよ。経験がないと答えた人に対しても、「いや、なりましたよ、遊園地でお母さんとはぐれて、親切な大人に助けられましたよね」と畳みかけるわけです。すると被験者は過去のいろんな記憶、たとえば母親とはぐれた記憶だとか、大人に優しくしてもらった記憶だとかを繋ぎ合わせて、ひとつのストーリーを作ってしまうらしいんです。実話怪談として語られるエピソードの中には、そうして作られた記憶が何割かは混じっている可能性がある。しかも私が取材をすることで、記憶のディテールが膨らんだり変容したりすることもあるでしょうから、体験者と作家の共同編集みたいな面もあるかもしれない。

木下:実話怪談の本質に触れる話ですね。記憶っていうのは大抵映像的ですが、それを言葉にする際には一本のストーリーにするために再編集がなされたり、足りない部分が補われたりする。

蛙坂が体験した「誰も覚えていない」事件の謎

蛙坂:木下さんも記憶をもとに短歌を作ることはありますか。

木下:あります。その場合、近い記憶よりも遠い記憶を扱った方が、短歌のクオリティが高くなるような気がしますね。遠い記憶には曖昧なところがあったり、事実と若干ずれていたりする部分があるんですが、そこにこそ詩の入り込む余地がある。作者としても遠い記憶の方が干渉や操作しやすいんです。

蛙坂:子供の頃の記憶って、ぐにゃっとしていて柔らかい。そういう印象は取材をしていても抱きました。

木下:一方で『こどこわ』には、具体的な証拠のある話も結構載っているんですよね。「家族こっくりさん」だと、ある時期だけアルバムに貼られている写真が妙に少ないとか。そういう物証が出てくると、じゃあ本当だったのか、と思わざるをえない。

蛙坂:実話怪談を書いていると、「それって結局思い込みでしょう」と言われることもあるんです。それは避けたいので客観的な証拠とまではいいませんが、本当にあったらしいということが示唆される部分を、意図的に書くようにしています。

――蛙坂さんご自身は、子供の頃の怖い思い出ってありますか?

蛙坂:小学校4、5年の時にテレビで変な映像を見たという記憶があります。朝、ご飯を食べながら情報番組を見るともなく見ていたら、いきなり同級生の女の子の家が映ったんです。えっと思っていると、ジュラルミンの盾を持った警官隊がどやどやとその子の家に入っていって、「東京都墨田区の××家から拳銃が押収されました」というニュースが流れたんです。登校してみるとその子は学校を休んでいました。友達に、さっき生放送でこんなニュースを流れたんだけど、と話したらやっぱり何人かは見ていて、やばかったよな、と盛り上がった。次の日は例の子が普通に登校してきたんですが、事件については触れちゃいけない雰囲気でうやむやになったんです。数年後、中学になって「そういえばこんな事件があったよな」と友達に話したんですが、誰一人その事実を覚えていない。ニュースを見たという記憶もない。親に聞いても、そんな事件はなかったというんです。あれはいったい何だったんだろうという経験です。

木下:めちゃくちゃすごい体験じゃないですか! どうしてその話を本に書かなかったんですか。

蛙坂:書くほどの話でもないかなと。私が小学4年の頃に地下鉄サリン事件が起きて、オウム真理教の施設に機動隊が突入するニュースをよく目にしていたので、それが記憶に混入しているんじゃないかとも思うんですが、真相は分かりません。木下さんがそう言ってくださるなら、次の本に書こうと思います。

読者を日常から怪異へ誘うための助走とは

木下:ところで怪談と短歌ってどこか共通点がありませんか。たとえば記憶を書き留める際に、取捨選択して、言葉にしていくという作業が重なるように思いますが、どうでしょう。

蛙坂:私も短歌や俳句などの定型詩と、怪談は近しいジャンルだと思っていました。実話怪談はかなり制約の多いジャンルですが、その枠組の中で自由な表現を目指すところは定型詩に似ている。実際、我妻俊樹さんなど歌人と実話怪談作家を兼ねている方もいらっしゃいますし。

木下:短歌も怪談も長い歴史があるだけに、無数に先行例があります。難しいのは先行例を避けながら、自己模倣に陥らずに、新しい表現を見つけ出すことです。書けば書くほど使える手が減っていくので、満員電車の中をなんとかすり抜けるみたいな辛さがあるんですが、『こどこわ』のような本を読んでいると、自分も頑張らなければという気になります。

蛙坂:一度使った手はもう使えないですよね。『こどこわ』に収録されている「別れる理由」という怪談では、体験者の女性がある決断をしたことがラストで分かるという構成になっている。我ながらよくできたなと思うんですが、二度は使えない。

木下:蛙坂さんが実話怪談を書く際に、特に気をつけていることはありますか。

蛙坂:怪談って日常の隣にある恐怖や怪異を表現するものだと思っているので、それを語る言葉も日常から少しずれたものにした方がいいと考えています。具体的には、日常ではあまり使わない語彙をあえて交ぜたり、単語同士の結びつきを壊したり、助詞をいつもと違う感じで置いてみたり、そういう違和感にこだわっていますね。平易な文章で淡々と怖いものを書かれる方もいるので、何が正解ということもないのですけど。自分ではそういうやり方をしています。

木下:違和感ですか。納得です。読んでいて知らない言葉が出てくると、蛙坂さんの怪談を読んでいるという気がしますから。

蛙坂:怪談のピークは怪異が起こるところだと思うのですが、そこにいたる言葉をずらすことで助走している感じです。媒体によって文体は若干変えていて、たとえば神沼三平太さんというストロングスタイルの作家さんと共著を出した際は、普段よりも強めの怪談を書くために、平山夢明さんの文体を研究しました。

木下:私も短歌で似たようなことをよくやります。行き詰まったら好きな歌集を読み返して、文体を一度染みこませると意外にすっと書けたりする。自分を井戸に喩えるなら、短歌を始めた頃は初期衝動でいくらでも水が湧き出してきたんですけど、ある時期を超えたら水量が減ってくるので、どんどん注ぎ足してやらないと。

蛙坂:僕も読むことが書くことに直結しているタイプなので、その比喩はよく分かります。

「アイマスクなしでは眠れなくなった」歌人を震撼させた「富士山を見る」の衝撃

木下:『こどこわ』には驚かされた表現がいくつもあるんですが、たとえば「鴉岩」という作品。山奥に住んでいる天狗のような男が、赤とんぼを捕まえて食べるんですが、その際の咀嚼音が「さり、さり」なんです。これはすごいなと思った。赤とんぼを実際食べたことはないですが、食べたら「さり、さり」と鳴りそうな気がする。こういうディテールで話のリアリティがぐっと高まるんです。あとは「富士山を見る」という話の比喩。屋上から見えた巨人のようなものが、「長時間水に浸けた生肉のようだった」と書かれている。この一文で、ぶよぶよした男の肌の感触が伝わってきますよね。今後、濡れた生肉を見たら絶対思い出してしまいます。「富士山を見る」は本当にすごい話で、読み終わってからしばらくはアイマスクをしないと眠れませんでした。

蛙坂:そこまで言っていただけるなんて、怪談作家冥利に尽きます。

木下:大人になってこんな怖い思いをすることはそうありません。こちらの道理が一切通用しない世界が書かれているじゃないですか。ある家族の間で富士山と呼ばれているものがぶよぶよした巨大な人間で、それを見た夜、夢の中で僧侶に目玉を取られそうになる。まったく意味が分からないんですけど、すごく気味が悪いし、自分は読者だから安全だろうという理屈も通じない。

蛙坂:安全圏にいると思うと怖さが減ってしまうので、いかに自分ごととして読んでもらうかは気をつけているところです。「富士山を見る」は前半と後半のつじつまが合っていないし、この体験は一体何だろうと頭を抱えたくなる。読者に怖がってほしいという気持ちはもちろんあるんですけど、それ以上に頭を抱えてほしいという思いが大きいかもしれない。「富士山を見る」は割とうまくいった例ですね。

木下:「オボザワススグ」という話は、名前の響きがすごく嫌でしたね。おそらく水難事故で亡くなった方の名前なんでしょうけど、オボザワもススグも名前としてどこかおかしい。死因である水を由来に死後つけられた名前という感じがある。実はさっきオボザワという姓を検索してみたら、福島県三島町にオボザワという沢があるらしいんですね。かつて子どもが溺れて亡くなったことがその沢の名前の由来らしく、二段階で怖かったです。

蛙坂:仕事柄、幽霊についてはよく考えるんですが、結局幽霊の何が怖いのかといえば、知っている人が生前とは違うものになってしまうのが怖いんですね。見た目や人格がそのままだったら、幽霊でも怖くはないんですよ。「オボザワススグ」は異界のルールのようなものによって、死後名前が変わってしまったのかもしれない。そう考えると怖いですよね。

活字だからこそ味わえる「読む怪談」の恐怖

木下:それと忘れずに言っておきたいのは、一冊の本としての構成です。『こどこわ』には45話の怪談が収められていますが、その配列が実にいいんですね。冒頭の「猿なし猿まわし」からモチーフがリレーのように繋がっていて、最終話の「人形地獄」まで一気に読まされてしまう。

蛙坂:そこは意識しました。「猿なし猿まわし」が猿の話なので、次の「犬屋敷」は犬の話、その次の「それはベス」も動物ネタで、という具合です。気を遣ったといえばタイトルもそうですね。実話怪談はタイトルをなかなか覚えてもらえないので、できるだけ記憶に残るタイトルをつけるようにしました。

木下:45話どれも看板として押し出せるくらい粒が揃っているうえに、蛙坂さんのこだわりで構成も文章も徹底的に磨かれているので、面白くないわけがない。こういう怪談本に出会えることは滅多にないので、「書いてくださってありがとうございます」という気持ちです。

――お二人がこれからの怪談シーンに望むことは?

木下:日々の活力をもらっているジャンルなので、このままどんどん盛り上がってほしい。怪談ファンとして望むことはそれだけです。

蛙坂:最近はイベントや動画での怪談語りも盛んになっていますが、木下さんは怪談を聞くこともありますか?

木下:聞いています。仕事をしていない時は、大抵怪談を聞いているか読んでいる(笑)。個人的にはさっきお名前の出た朱雀門出さんのYouTubeチャンネルが好きなんですよね。話がどれも面白いし、視聴者に語りかけてくるような距離感も絶妙。登録者数が100万人くらいいてもおかしくないチャンネルだと思います。

蛙坂:さすがに押さえていますね。推し活の延長で怪談イベントに通っている方も多いと思うのですが、活字の怪談はまだそこまで層が広がっていない。聞くだけでなく、読む怪談ももっと流行ってほしいというのが要望、というか希望です。

木下:読む怪談は怖いですからね。聞く怪談は外部にあるものとして楽しめるんですが、活字だと自分の内部に取り込みながら黙読することになって、よりフィジカルな恐怖がある。能動的にページをめくりながら一文字一文字追っていくという行為も何かしらの呪術に加担させられているようで、その内的な、摘出不可能な嫌さが、怪談を読むことの大きな魅力だと思います。

■書誌情報
『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』
著者:蛙坂須美
価格:924円
発売日:2025年9月29日
出版社:竹書房
レーベル:竹書房怪談文庫

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