稲田豊史に聞くAI時代の読書事情「読書好きの『閉じっぷり』が、読まない人との断絶を生んでいる」

 『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(2022年)は、コストパフォーマンス、タイムパフォーマンスを重視して映像を倍速視聴する傾向にスポットを当てて話題になった。その著者・稲田豊史が『本を読めなくなった人たち コスパとテキストメディアをめぐる現在形』を刊行した。新刊では、グループインタビューなどで取材を重ね、文章の読まれ方の変化を浮き彫りにしている。(円堂都司昭/2月20日取材・構成)

本が「読めない」のは能力のせいなのか

稲田豊史氏

――刺激的な書名ですが、どのように企画が立ち上がったんですか。

稲田豊史(以下、稲田):最初は編集者から「ニュースを無料で読む人たち」という企画の提案があったんです。インターネットではニュース記事だけでなく、本の宣伝で無料抜粋記事を出すケースがけっこうありますよね。でも、本当に販売促進になっているのか疑問があって、『映画を早送りで観る人たち』の時には無料抜粋は一切やらなかったんです。それで、ネットの無料記事や紙の本の売れ方について検証したい、そのためには取材して話を聞かなくてはダメだと思って、グループインタビューを中心に若者の声を聞き、出版現場の声を集めました。その過程で『本を読めなくなった人たち』というテーマが前景化したんです。

 若い人たちに「最近、本を読めなくなったと感じることはありますか」と聞いたら、思った以上に「あります」と返ってきました。「長い文章はChatGPTが要約してくれるので本を読む必要はないです」という本の帯に載せた言葉をある女子学生から聞けた時、この本は成立するなと思いました。これは個人の問題というより、社会現象に近いなと。

――以前の著作『映画を早送りで観る人たち』と、今回の『本を読めなくなった人たち』は、どのようにつながっていますか。

稲田:どちらも発表された作品の問題というよりは、受け手の環境がどう変わったかを書いています。前作では、倍速視聴という行動から効率やコスパを重視する感覚を書きました。今回は、その感覚が読書にも広がっていることを追いました。メディアは違っても、背景にある時間意識の変化は共通していると思います。

――「読めない」のは、能力の低下ではない?

稲田:読めないと言うと、すぐ「学力が落ちた」とか「スマホのせいだ」という議論になりますが、実際に話を聞くと違う印象も抱きました。毎日毎分毎秒、スマホの通知が鳴ってタイムラインが更新され、短い情報が次々に流れてくる。そのなかで30分、1時間、長い文章に向きあうことがなくなってきた。講演をしていろいろな世代と接してみると、本をたくさん読んできた60代、70代の地方の経営者も本が読めなくなっているんです。だから、「読めない」のは、個人の能力というより、情報環境が変化した側面も大きいのかなと。

 今の情報環境では、即座に判断する、短い単位で処理する、高速でスクロールして文字を追うといった人々の能力は、むしろ高まっていますよね。結果、時間を使って長文を読むのはコスパが悪い、と感じる人が増えたのだと思います。インターネットで心血注いで記事を書いても、リードや見出ししか読まない人が8割くらいだろうな、という体感もありますし。

――そう思います。

稲田:僕がライターとして独立したのは2013年で、Twitter(現X)やLINEはもうありましたが、そういった短文メディア上で、どこまで主旨を簡潔に説明できるかというのが、当時すでに執筆上の要請になっていました。その後、ショート動画などが出てきて、ますます文字が読まれなくなったという実感があります。

たくさん本を読んでいるからといって、必ずしも賢いわけではない

稲田豊史『本を読めなくなった人たちーーコスパとテキストメディアをめぐる現在形』(中公新書ラクレ)

――文字が読めることと長い文章が読めることは違うというか、読み書きをめぐる二層構造は昔からありますよね。古くは漢文と仮名書きとか、江戸時代なら文字が中心の読本と絵が主体の黄表紙とか。また、テレビ、マンガ、携帯電話、インターネットがそれぞれ普及するたびに、活字との関係が議論されましたけど、それらと決定的に違うことが今起きているのでしょうか。

稲田:確かに二重構造はどの時代にもありましたが、最近は受動性が徹底的に高まっています。テレビや初期のインターネットは、チャンネルを変えるとか録画するとか検索するとか、そうは言ってもまだ能動性の産物でした。でも、今はその人に適した情報が、勝手に向こうから次々と降ってくる。しかも動画なら、主張の論旨を追えていなくても、とりあえず結論まで導いてくれる。ショート動画、倍速視聴は時間がかからないし、最終的には「AIの要約でよくない?」となる。一方の文章は、自分で意味を組み立てて理解しないと先に進めません。高い能動性を求められます。

――コスパ感覚が、読書を遠ざけている。

稲田:受動的なメディアのほうがあらゆる意味で「速い」ので、ある種の人たちは読書に時間を割くことをデメリットと感じているのではないでしょうか。

――印象的だったのは、「読めなくなった人たち」はバカになっているという話ではないことです。

稲田:正直、グループインタビューをやる前は、読めないのは知性の問題なのかもと思っていたんですが、そうではありませんでした。本をまったく読んでいなくても、会話がとても知的な若者は普通にいる。本を読んで培われるのとは別の種類の知性なのだと思います。「読める人」でこの事実を認識している人は、それほど多くないのではないでしょうか。逆に言うと、たくさん本を読んでいるからといって、必ずしも賢いわけではない。でも、ほとんどの読書論は、読んでいる側の理屈で読んでいない人をどうやって読ませようかという、一面的な提言になりがちです。

出版業界の肥大した自己愛が溝を生んでいる

――本書では、面白さの基準の変化についても書かれていますね。

稲田:今は、消費者として手軽な共感や正解、欲しい情報を求める「わかりみ」が重視されます。でも読書は、ちょっと違和感のある意見や見解とつきあう行為でもある。読者・鑑賞者として、真理の探究や知的発見といった「おもしろみ」を得る面もある。

 本を読まない人に対する「おもしろみ」支持派の理屈は、酒を飲まない人に対する酒飲みの理屈と同じだと思うんですよ。「本当に美味しい酒を知らないから、酒を嫌うんだ」「酒を飲まないなんて、人生の半分を損している」。そういう言い方をするから、飲まない人は態度が硬化するし、意見が噛み合わない。そもそも、「おもしろみ」側は「わかりみ」的な読み方を批判する傾向がありますが、「わかりみ」側からすると、欲しい情報があるから読んでいるだけなのに、なぜディスられなきゃいけないんだ、となる。

――読書好きにも問題があるようですね。

稲田:自分の大事なものを守るためにそれを肯定する言動が間違っているとは思いません。ただ、自分たちがどう見られているかは少し考えた方がいい。これは自戒も込めて言いますが、自分も含むいわゆる“サブカルおじさん”たちは、自分たちが知性的で文化に通じており、それを論じる立場にあるという自負を長らく持っていました。でも、数年くらい前からその耐用年数は切れていて、外からどう見られているかが冷徹に言語化され始めています。

 グループインタビューで読書好きの人たちについてどう思うか聞いたら、ある大学生が「本を読んでいる自分が好きな人ですよね」と口にしながら、ちょっと笑ったんですよ。僕はかつて出版社の編集者でしたし、今はものを書いて生活しているのであまり認めたくはないのですが、出版業界や書店業界には肥大した自己愛のようなものがある。外部の人たちからすれば、その自己愛にモヤっとするけど、それを言えない、言わせない空気がある。なんだか閉じているようにも見える。その閉じっぷりが、本を読まない人にとっては「キモい」んだろうと思います。

生成AIの登場で人々の感覚が変容している

――その「閉じている」という感覚が、社会のあちこちで摩擦を生んでいるのでしょうか。

稲田:本を読んだ自治体の方の感想が印象的でした。役所は文書主義なので、市民に対する案内がすべて文章で示されます。普通の市民なら、これくらいの文章は読めるだろうと想定している。でもその想定が崩れると、同じサービスや情報を全市民に文章で伝えることができない。今後考えなければいけない課題だなと。その方は日々の業務で感じたことがあったんでしょう。申請すればもらえる補助金を、込み入った文章が理解できないばかりに申請しない人が多い話などは既に顕在化していますが、そういったことは読書の「わかりみ」とか「おもしろみ」以前の、もっと深刻な社会問題だと思います。

 また、マーケティングリサーチ会社の方は、調査票について話していました。調査票は文章で書かれていて、質問項目が多い。「Q.8の質問でCと回答した人だけQ.9の質問に回答してください」みたいな部分がたくさんある。その意味を読みとれない人が出ていて、調査の精度が落ちてしまうと。どうすればいいか、検討を始めているそうです。

――最近の要約文化や生成AIをどうとらえていますか。

稲田:ビジネスでもAIの要約に頼っている人が多いですよね。会議の音源をAIに文字起こしさせたら1万字になったとして、それを3000字に要約したものを会議に出ていない人が読み、わかったつもりになる。概要を理解するための要約はかまわないと思いますが、そこで落とされた7000字分の情報は気にならないのかなと。AIがどういう基準で落としたのかは明示されないのに、それを気にしない人が増えている。アウトプットにしか目を通さなくなっている。人々の感覚が変容していると感じます。

 本って、言ってみれば作者の知性の押し売りだと思うんですよ。でもAIの場合、アウトプットが難しければ、「もっと嚙み砕いて」と要求すれば噛み砕いてもらえる。読書感想文をAIに書かせる時も、「小学5年生レベルの文章で」と指定すれば難易度を調整できますよね。あれと同じです。取り急ぎ理解したい、文章化したいという時、ちゃんと指示すれば生成AIはちょうどいい深度で提供してくれる。ここは普通の本には勝てない部分です。

陽キャしか本を書けない時代に書き手はどう生き残ればいいのか

――これから書き手は、どう変わるべきなのでしょうか。今では著者が宣伝のためにトークイベントをやるのは当たり前ですし、『本を読めなくなった人たち』には、コンテンツではなくキャラにファンがつくという話も書かれていましたが。

稲田:もともと人前に出て喋りたいわけではないから文章を書く仕事を目指したはずなのに、今は逆ですよね。今は人前に出なければ文章も本も売れない。つまり陽キャしか本を書けない。陰キャはどうすればいいんだって話です。物書き、ライターという職業の概念が以前とは違っていて、YouTuberやポッドキャスターなどとさほど変わらなくなっている。

 生き残る術でいうと、生成AIの時代に人間はスピードでは勝てない。でも、僕はルポをよく書きますが、生身の人間から対面で話を聞くのはAIで置き換えられない部分です。今後、ロボットが話を聞きにいくことはあるかもしれないですが、地方に住む普通の方にアポイントを取って会いに行き、探り探り会話しながら胸中を聞き出すような取材は、当分は難しいのではないでしょうか。そういう仕事をするライターは残るでしょうね。

 あるいは、あるホットトピックについて誰に聞けば最も詳しい情報を取れるかを知っていて、実際にその人にすぐ連絡できるコネクションを持っているライターは、生き残れます。生の一次情報を取ってこれる力ですよね。その意味でも、聞く側のキャラクター、コミュニケーション能力は大事。結局のところ、陽キャ的なものは必須ということになる。厳しい時代といえばそうです。

 ただ、「おもしろみ」側の本の市場サイズは小さくなるかもしれないけど、確固とした内容がパッケージされた紙の本を読みたい人は、やっぱり消えはしない。これは自分への檄でもありますが、結局、本物の本しか残らないんだから、きちんとしたものを頑張って書きましょうということに尽きます。

■書誌情報
『本を読めなくなった人たちーーコスパとテキストメディアをめぐる現在形』
著者:稲田豊史
価格:1,210円
発売日:2026年2月9日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公新書ラクレ

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