湊かなえが見つめる“宗教2世”のジレンマ「身近な問題だからこそ誰もが知りたいはず」

 作家・湊かなえの最新作『暁星』(双葉社)が発売された。政治、文学、そして宗教……。実際の事件をフックに、手記と小説、ノンフィクションとフィクションが混ざり合い「真実」を浮かび上がらせる意欲作だ。本作に込めた意図やテーマ、そして執筆の背景について、話を聞いた。

“宗教2世”の問題は実は誰にとっても身近なもの

――『暁星』は現役の文部科学大臣が公衆の面前で刺殺されるという、実際に起きた事件を彷彿とさせる出来事から幕を開けます。現実の事件、それも社会を震撼させた大事件を想起させる場面が出てきて、まずはそこに驚きました。

湊かなえ(以下、湊):ありがとうございます。ただ実際の事件をモデルにした小説を書こう、という発想から本作は生まれたものではないんです。現実で起きた事件に寄せる形で書いたのは、あくまで読者を物語へ興味を抱いてもらう入口とするためです。今回の作品を書こうと思ったのは宗教、もっと言うと“宗教2世”について関心があったからでした。自分の人生を振り返ってみると、家族が信仰する宗教の影響下で育った所謂“宗教2世”と呼ばれる人と出会う機会が幾度かあったことに思い当たったんです。ニュースなどで“宗教2世”の問題を特別なことのように扱う場面に出くわすことがありますが、実は誰にとっても身近で「人生の分かれ道で別のルートを歩んでいたら、自分もそっち側で生涯を送っていたのかもしれない」と考えたんです。身近な問題だからこそ誰もが知りたいはず。ただ一方で宗教を題材にした小説と聞いただけで身構えてしまう読者も多いかもしれない。だから誰もが知っている現実の事件を入口にした書き方をして、読者が物語へ興味を抱くためのフックを作りました。

社会的なイシューを取り扱いつつも、対読者の視点は常にある様だ。

――作中に出てくる「世界博愛和光連合」、通称「愛光教会」という団体は文学賞の運営に関わるなど、出版業界にも影響を及ぼすような宗教組織として描かれています。

湊:「愛光教会」という新興宗教の設定については、現実にある特定の団体をモデルにはしておらず、ゼロから作り上げています。大変だったのは、その宗教団体がどのような教義を信仰しているのか、という部分でした。“宗教2世”の登場人物たちがどのような考えに囚われていて、そこから逃れたいと思っているのか、ということを書くためにも、まずは信仰の根幹になるものを描かねばならない。ところが、これがなかなか思い浮かびませんでした。どうすれば良いのだろうと悩んでいたところに、ヒントを与えてくださったのが日本画家の黒川雅子さんです。

――ミステリ作家である黒川博行さんの奥さんですね。

湊:そうです。2024年に公演した西日本の作家が集まった文士劇「なにげに文士劇」でご一緒した際に黒川雅子さんから応龍の存在を教えてもらったんです。応龍は中国の古書に出てくる伝説上の生きものですが、最初は蝮の姿で生まれたものが時を経て応龍へと成長していく、という言い伝えがあるそうです。この話を黒川さんから伺った時に「これを小説の中に登場する新興宗教のシンボルとして設定してみると、組織としての有り様も分かりやすく描けるのではないか」と思い立ち、応龍を象徴とする「愛光教会」という宗教が出来上がった次第です。

――本書のカバーの装画に描かれている龍こそ、その応龍ですね。

湊:そうです。その装画を描いていただいたのが、応龍を教えてくれた黒川雅子さんです。雅子さんは黒川博行さんのご著書の装画も手掛けていらっしゃいます。先ほどお話しした文士劇の時に「いつか湊さんの作品の装画も書かせていただける機会があれば嬉しいです」と仰っていただいたので、「もう雅子さんにお願いするのは、このタイミングしか無いだろう」ということで描いていただきました。とても素晴らしい絵を頂戴して本当にありがたいです。

黒川雅子が描いた『暁星』のカバーイラスト原画

与えられる情報は本当に「真実」なのか?

――『暁星』は刺殺事件の容疑者が書いた手記の形で進行していきますが、途中で「えっ」と思うような反転が待ち受けています。あらすじなどの事前情報を極力入れない形で読み始めた際、この反転がミステリとしての読みどころになるのではないかと思っています。

湊:今回は帯やカバーにあらすじは入れていませんし、目次も入れていないんです。こういう風に変わるのか、という驚きを読者の方に味わっていただければと思います。ネタバレにならない範囲でお話しすると、『暁星』があのような構成の作品になったのは、「そもそも事件の当事者が書いた手記をそのまま真実であると受け取ることは出来るのだろうか?」という疑問があったからです。「これが真実です」と言われて与えられる情報をそっくりそのまま受け取ってしまうことは危険なことではないのか。その「真実」も蓋を開けてみたら実は全く別の物語だった、という事もあり得るのではないか、と読者にも感じてもらいたい。誰かから与えられた物語を別の角度から眺めてみれば別の世界が見えてきますよ、という事を『暁星』では描きたかったんです。

――デビュー作の『告白』を始め、湊さんの作品は語りの技法に拘ったものが多いですが、「ノンフィクション作品として書かれた文章」というのはこれまでの作品を含めても珍しいですよね。

『暁星』での初挑戦は。

湊:そうですね。私の作品は一人称視点で書かれたものが比較的多く、書簡体の形式で綴るものとしては『往復書簡』という作品なども書いています。ですが、今回の『暁星』のように事件を起こした当事者がノンフィクションとして書いた文章、というのは初めて挑みました。

――これまで湊さんが書いてきた一人称視点の小説の文章と比べて「書く際に、ここは勝手が違うな」と感じた部分はありますか?

湊:感覚的な表現になってしまうのですが、いわゆるノンフィクション形式で綴った文章は、とにかく書き手が与えたい情報をバンバン投げつける様な雰囲気で書いていたように思います。とにかく読者に受け取って欲しいものを切り取って投げていく感じでしょうか。それに対して小説の文章、フィクションの文章というのは相手を誘う様な書き方が大切になってくる気がします。「ここに面白いものがありそうでしょう?」という風に物語の中へと誘導していく感覚かなあ、と思っています。

――なるほど。そういう意味では『暁星』は湊さんの創作論が垣間見える作品ではないのかな、と感じました。いっぽう「書く事」だけではなく「読む事」についても考えさせる小説でもあると捉えています。江戸川乱歩の『黒蜥蜴』が重要な小道具として登場する点が印象的でした。

湊:作中で登場人物が親から隠れて読む「秘密のアイテム」のような本を出す必要があったんです。その時に思い付いたのが乱歩の『黒蜥蜴』でした。『黒蜥蜴』って、タイトルの字面を見ると何だか怖そうですよね。親が「こんなおどろおどろしいものを読むなんて!」という反応をしそうな小説として出してみたんです。

――『盲獣』などが出てくると流石に怖すぎる感じがしますが(笑)、『黒蜥蜴』ならば大人びた背徳感もあって、丁度良い感じですよね。

湊:実は初めて読んだ大人向けの乱歩小説が『黒蜥蜴』だったんです。子供の頃、母親に薦められたジュブナイル版の〈怪盗ルパン〉シリーズを読んでから、小学校の図書室で〈ルパン〉や乱歩の〈少年探偵団〉シリーズを片っ端から手に取っていたんですけど、あるとき自分の家にも江戸川乱歩の本があることに気付いたんですね。それが『黒蜥蜴』。読んでみたら、今まで学校図書室で借りて読んでいた乱歩作品とは全く違うわけです。何だこのドロドロとして、人間の情念が渦巻いているような世界は、と。当時小学生の自分がどこまで理解できていたのかは分かりませんが、図書室で読んでいた〈少年探偵団〉シリーズよりこちらの方が遥かに面白いぞと感じて、そこから大人向けの乱歩作品にどんどん嵌まっていきました。先ほど『黒蜥蜴』を作中に登場させたのはタイトルがおどろおどろしいから、と言いましたが、それだけではなく自分自身の読書体験に基づいている部分もあると思います。

“宗教2世”のジレンマ

――『黒蜥蜴』の話題から親と子の話が出てきましたが、『暁星』は“宗教2世”を題材とした小説である以上、必然的に親子の問題が物語では描かれます。

湊:新興宗教の2世信者が脱会したくても抜け出せない問題がニュースなどで取り上げられた時、「なぜ簡単に抜け出せないんだろう」と疑問に思われる方は多いかもしれません。しかし本人は信仰そのものから逃れたいと思っても、けっきょく信仰を捨てる事は親を否定することになってしまう、というジレンマを“宗教2世”の方は抱えてしまっていると思うんです。では親がすべての原因なのかというと、そういう単純な話でもないと私は捉えています。『暁星』にも最初は「とんでもない親だな」と感じる様な人物が出てきますが、物語が後半になるとその印象が少し変わってくるはずです。先ほど『暁星』を「与えられた物語をそのまま受け取らず、別の角度から眺めてみる」ことを描いた小説であると言いましたが、本作で描かれる親子の問題はまさにそのことを示していると思います。

――宗教と家族の問題など、本作は重苦しい題材を扱った小説ではありますが、それだけではない読み心地を与えてくれる作品でもあります。タイトルが明けの明星を意味する『暁星』になっているのも、これ以上ないくらいに相応しいものだと思います。

湊:私は「自分にとっての勝負作にするぞ」と思った作品については、漢字二文字でタイトルを付けることにしています。最初は『暁闇』というタイトルを考えていました。夜明け前の一番暗い時を指す言葉で、「闇が深いからこそ希望がもうそこまで迫っている」というニュアンスを伝えることが出来るかな、と思ったからです。でも「もう少し、光があるように感じられる方が良いな」と考え直し、“星”という文字が入った『暁星』になりました。夜明け前の空で一番光り輝く星のように、この作品が誰かの人生を照らすような存在になってくれればと願っています。

湊かなえ

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