『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』原作者が語る、可愛らしいキャラで戦争を描いた理由「辛い場面がずっと続く漫画です」

 12月5日に公開となるアニメ映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は、武田一義が太平洋戦争の時に南洋のベリリュー島を舞台に繰り広げられた激戦を描いた漫画を原作にしたものだ。10月27日から11月5日まで開催の第38回東京国際映画祭では、アニメシンポジウムとして「『桃太郎 海の神兵』から『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』まで 国産アニメーションは戦争をいかに描いたか」が開かれ、著者の武田が登壇して作品に込めた思いや、映画化に当たって監督に伝えたことを話した。

 「戦後70年の時に、戦争に関する読切作品をムックで出す企画があって、お声がけをいただいた時に不思議なほど描きたいと思えたんです」。10月29日に開催のシンポジウムで武田はこう言って、2016年にヤングアニマル誌上で『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』の連載を始める以前の心情を振り返った。

 そのムック『ヤングアニマル特別編集 戦後70周年記念ムック 漫画で読む、「戦争という時代」』に武田は、「ペリリュー 玉砕のあと」という44ページの短編を出した。なぜペリリューだったのか。「戦後70年で天皇皇后両陛下がペリリューに行かれた時に、自分がペリリューを知らなかったことが頭に残っていたんです」。

漫画家で『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』原作者の武田一義

 そこで、何十年にも渡ってペリリューからの帰還兵に話を聞いて来た太平洋戦争研究会の平塚柾緒氏と連絡を取った。そして、「語られている兵士たちの姿が、それまで自分が抱いていた戦争に行かれた方のイメージとは違っていた」と感じ、「普通の若者たちが戦争に行ってそこにいたというありのままの姿を描きたいと思って」ペリリューの話を短編で描き、続いて連載もスタートさせた。

 逡巡はあった。「自分の描き方次第では、戦争に行かれた方や遺族の方々を傷つけてしまうことがあるかもしれません。それでも、やっぱり描きたいという気持ちが強かった」と筆をふるった。ただし、起こったことをありのままに描いた訳ではない。映画で板垣李光人が声を演じる功績係の田丸均一等兵も、中村倫也が演じる吉敷佳助上等兵も物語上の人物だ。戦争の経緯や現地の状況はドキュメンタリー的でも、物語自体はフィクションとして描かれている。

 当初は、ドキュメンタリーにするかフィクションにするか迷ったそうだが、「平塚さんから、実録ドキュメンタリーとして描く時に、自分が知っている事実でも取材対象者の名誉を守るために敢えて書かないことがある、フィクションなら実在のモデルが誰か分からないようにして描けるかもしれないと水を向けていただきました」。本当は伝えたいにも関わらず、ドキュメンタリーでは名前を出せず紹介できないことでも、フィクションなら描くことできる。それによって知ってもらえることが増えるなら「フィクションで行こうと」決断した。

 『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』のもうひとつの特長が、戦争というシリアスな状況を描くにしてはキャラが可愛らしいことだ。この選択について武田は、「ガンの闘病記(『さよならタマちゃん』)でデビューした時、病気は辛い話題なので見てもらうために3頭身の可愛らしい絵柄を作りました。その考え方が、戦争にも当てはまると思いました」と説明した。

 「辛い場面がずっと続く漫画です。キャラクターのちょっとした可愛らしさで心を楽にしてもらわなければ読者が付いてきてくれません」。戦争を描写も含めてリアリティーたっぷりに描くことに、当時の状況を知ってもらうという意味はあるが、「戦争のことが描いてある貴重な漫画だからと学習のために読んでもらうのではなく、面白い漫画だからと呼んでもらえるように設計するには、このキャラクターが必須でした」。

 その漫画がアニメ映画になった。感想を聞かれて武田は、「漫画でも戦争を描いていることの難しさを感じていました。精いっぱい頑張って良いものを作ったとしても敬遠される題材ですから。アニメ化したいと東映がおっしゃってくれたのは、単純に嬉しかったですが、大変だろうなあと思いました」と話した。映画化が決まり、久慈監督と話すことになって、「漫画の時に気をつけていたことを、アニメでも気をつけていただきたいということを伝えました」。

 それは、「敵も味方もどちらが良いとか悪いとかではなく、心情のありのままを描くこと」であり、「兵器というものが人体を破壊するということを、きちんと描いて欲しいということ」。人体が傷つくような表現は、TVアニメのような場所ではリアルには描かれないことが多い。「爆発があってもふわっと吹き飛ぶだけ。この作品では、銃で撃たれて弾が当たればこう壊れてしまうということを、きちんとやって欲しいと言いました」。

 予告編などに登場する戦場の様子は、可愛らしいキャラということもあって陰惨さは薄いが、それでも体が傷つき、命が失われた兵士たちがしっかりと描かれている。観てそれが戦争のリアル、命の儚さだと思う人も多そうだ。

 5年の連載で全11巻に及ぶ長さの中に、登場人物たちの物語が一種の群像劇として描かれているところがある『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』だが、映画はこれを2時間ほどの中に収めた。武田はここで、脚本を西村ジュンジと共に手がけた。「大変でしたが、ペリリューの戦いと日本兵たちがたどった顛末の大事なところはどこなのかを改めて探して、作品を分解して再構成する作業をしました」。観ればしっかりと作者の意図は感じ取れ、同時に原作はどうなっているのかを知りたくなりそうだ。

 シンポジウムには、1945年という戦争のまっただ中で公開された日本のアニメ映画『桃太郎 海の神兵』について研究し、『戦争と日本アニメ 『桃太郎 海の神兵』とは何だったのか?』(青弓社)を編纂した同志社大学文化情報学部の佐野明子准教授と、東洋大学文学部の堀ひかり准教授も登壇し、アニメがどのように戦争を描いてきたのかについて語った。

『桃太郎 海の神兵』c1945/2016 松竹株式会社

 佐野准教授は、『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』について、「ありのままに戦線を描いてくださったことに感謝しています。ウクライナ戦争もあって戦争に関心を持ち始めた学生に映画を薦めていきたいです」と話した。堀准教授も、「漫画を読んでいた時に、教えている学生が主人公たちと同じ年齢で衝撃を受けました。兵器が人体を破壊するという話と合わせて、心を込めて描かれた作品だということを改めて感じました」と作品を評価した。

 ここから、シンポジウムは『桃太郎 海の神兵』という日本のアニメ映画史に刻まれる作品についての解説に移り、日本的な風景が描かれながら動きはディズニーのようで、実証実話性を持ったドキュメンタリー映画としての要素もあることが指摘された。製作された経緯から、戦争を称揚するような国策映画として見られがちなところもあるが、戦闘に関するシーンが全体の4分の1程度しかなく、発注した海軍省から勇ましいシーンが少ないと指摘されたほど、日本の自然や兵隊の日常といった情緒的なシーンが続く。今のアニメを見慣れた人でも感嘆するような動きを見せるところもあり、アニメに関心がある人も、アニメでの戦争の描かれ方を知りたい人も、1度は観ておきたい作品と言えそうだ。

右から堀ひかり、佐野明子、武田一義、藤津亮太

■『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』
2025年12月5日(金)全国公開
配給:東映
©武田一義・白泉社/2025「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」製作委員会

関連記事