立花もも新刊レビュー 注目のリーガルミステリーに分断と対立の問題……いま読むべき注目作をピックアップ
発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する連載企画。数多く出版されている新刊小説の中から厳選し、今読むべき注目作を紹介します。(編集部)
君野新汰『魔女裁判の弁護人』(宝島社)
主人公は法学部で教鞭をとっていた元大学教授のローゼンで、道すがらしょっちゅう魔女裁判に遭遇して、首を突っ込んでいる。相棒のリリとともにこのたび出会ったのは、水車小屋の管理人を殺害した容疑をかけられている少女アン。半年前に母親が魔女として処刑されており、状況のすべてがアンを魔女として仕立て上げるために整っている状況を、ただ論理的に覆すには足りない。裁判で勝っても、彼女の周囲で暮らす人々の心に疑いと恐怖を打ち消さなくては、いつまた裁判にかけられるかわからない。だが、それがいかに困難なことかは、陰謀論やヘイトが消えない今の世の中を見ても、わかるだろう。
人は論理的に正しいことよりも、心が納得する物語を求め、信じたがる。論理を証明するためにも「感情」を操ることが必要なのだ。果たしてローゼンはいかにその困難に立ち向かうのか? 史実に基づくリーガルミステリーとしての読みごたえはたっぷりなうえ、ラストには思いもよらぬどんでん返しが待ち受けている。中世の魔女狩りに興味がある方も、ミステリー好きの方にも、おすすめ。
柴崎友香『帰れない探偵』(講談社)
しかたなく主人公は、大小さまざまな依頼を受けながら暮らす場所も町も転々と流されていく。多少の不便はあれど、仕事柄、さほどの問題があるわけでもない「わたし」には、けれど、常にどことないよるべのなさがつきまとう。帰る場所がないということは、行きつく先を見定められないということでもあるのだと、思ったりもする。
〈今晩も、芋と魚のフライがテーブルに並んだ。ただし、先日とは別の店、そしてわたしが買ったのとテラさんが買ったのは別の店であって、同じだが同じではないのだった。〉という文章に触れて、そうだよなあ、としみじみとしてしまった。とある町で、やはり「帰れなくなった」探偵とともに、つかのま生活をともにしているシーンの断片なのだけど、物語の本筋には関係のないそうした描写が、妙に心に残る小説でもあった。
「わたし」と故郷を同じくする探偵が、故郷に対する想いを同じにできなかったように、そもそも思い描いている故郷の美しさが同じではなかったように、「帰る場所」として思い浮かべるものも、人によってちがう。あるべき幸せも、平穏も、めざすべき未来も、なにもかも誰かと完璧に共有することなんてできないのだろう。たとえ同じ家に暮らしていたとしても。
「これは、今から十年くらいあとの話」だと「わたし」は作中でくりかえし語る。読み手である私たちが十年後の未来、あるべき姿と感じているものも、きっと一人ひとり、まるで違う。よるべのない選択を重ねながら、それでも私たちは、先を行くしかないのだということを、「わたし」と「わたし」が解決していく依頼を通じて、想いを馳せる。
ベッシー・ヘッド(横山仁美:訳)『雨雲の集まるとき』(雨雲出版)
亡命者は犯罪者や殺人者と同じだと、マカヤがたどりついた村の首長マテンゲは言う。「マテンゲを一方的な悪としては扱わず、マテンゲにはマテンゲなりの葛藤と苦しみがあると描き出すところに、(マカヤと同じ境遇だったはずの)ベッシーさんの凄みはある」と横山さんはインタビューで答えてくれたが、まさに、マテンゲの内心を奥深くまで掘り当てているところに、本作を読む意義はあると思う。なぜならそれは、私たちの心のなかにもある、差別心と同じだからだ。その根源にある、虚栄心と他者への恐怖も、私自身、他人事とは思えなかった。
結婚して妻と子をもつのが夢だと、冒頭でマカヤは言う。作中の登場する若いイギリス人の男と同様、私も最初は「そんなこと?」と思った。でも、どこにも安心できる居場所を得ることができずに生きてきた彼にとって、誰かを胸を張って愛するといえること、その相手と心休まる居場所をつくることが、どれほど得難いことなのか、物語を読み進めていくと、痛切に響く。
正直、一文一文に意味がこめられすぎていて、一度や二度読んだだけでは受け止めきれないものがたくさんあった。だから、今後も折に触れて読み返していきたいし、この時代に何が起きていたのか、もっと知りたい。あらゆる場所で分断と対立が煽られている今こそ、それが必要なのだと思い知らされる小説でもあった。