刑事コロンボの始原にドストエフスキーなんかいない? 菊地成孔『刑事コロンボ研究 上』を読んで

著者の「迂回」で読み進める「20世紀文化論」

 先日、ある映画作品の(まだクランクイン前の)脚本プロット執筆を依頼され、締切直前に数時間で仕上げた。これは、監督が執筆した脚本を原案とし、物語全体を整理整頓する“リライト的プロット”にすぎなかったためである。ライトな読み物として書き上げたプロットを提出したあと、ある新刊書の存在に気づいた――『刑事コロンボ研究 上』(著:菊地成孔)である。あぁしまった、プロットを書く前に読んでおくべきだったのだ。不覚だった。そして、それは迂闊でもあった。

 目次の冒頭に「〈倒叙〉とは何だったのか?」という魅力的な一章タイトルがあり、それを読んでいれば、自作の倒叙形式プロットの構成がより高度に洗練されたかもしれない。そう悔やみながら入稿後に“答え合わせ”のつもりで前書きを読むと、その緻密な研究ぶりに、参考にしようなどと軽く考えていた自分が恥ずかしくなる。本書で論じられる「〈倒叙〉とは」は、よく言われる“視聴者だけが犯人を知ることで成立する『古畑任三郎』的話法”といった通俗的な説明を一切寄せつけない。

 さらに本書は、ピーター・フォーク演じるコロンボのキャラクター原型が、ドストエフスキー『罪と罰』で主人公をじりじり追い詰める予審判事ポルフィーリーであるという説を紹介しつつ、「(コロンボを)ロシア原産」とする“極論”をまずは否定する。そして、「コロンボの原産地は特定できない」とすぐさま本書の底流をなす“極論”を提示し、ここから著者の「迂回」が始まる。その迂回は、痛快な言い回しと自演突っ込み的な注釈を交えながら50ページ以上にわたり展開され、最終的に「P・フォークによって完成するコロンボの原産地はロシアではなく合衆国で、始原にドストエフスキーなんかいない」と結論づけられる。

 このように本書は「20世紀文化論」でもある。仮に単純な読書体験として読み進めるつもりでも、コロンボをめぐる綿密な他作品との比較分析の前では、軽い気持ちの“アナロジーハンティング”など吹き飛ばされてしまう。前書きの終盤では、『コロンボ』出演者であるジャネット・リー(「忘れられたスター」)やレイ・ミランド(「指輪の爪あと」「悪の温室」)が、かつてヒッチコック映画に出演していたことに触れられるが、著者はそれを「こんなの「関係が見つかった」っていう話とは言えない」と繰り返し釘を刺す。この“懇切丁寧な否定”が、かえってありがたいのだ。

読者の想像を掻き立てる『刑事コロンボ研究 下』への期待

 とはいえ、本書が読者を突き放しているわけではない。筆致はスリリングだが晦渋ではなく、読者がふと抱く素朴な“アナロジー”すら、まるで予期していたかのように拾い上げる箇所もある。たとえば、冒頭で触れたプロットに登場する車の走行場面について、僕はどこかヒッチコック映画的な空気を感じ、それが特に『泥棒成金』(1955)の冒頭に似た印象だなと思っていた。その上で本書を読み進めると、前書き終盤でまさに『泥棒成金』が取り上げられ、最終段落には「もし「我々のコロンボのモデル」があるとするなら、それは英国からハリウッド入りした巨大すぎるヒッチコック」だと書かれている――この偶然の類似には、心底驚いた。

 著者・菊地成孔は、イタリアの“映像の魔術師”フェリーニがドキュメンタリー映画『フェリーニ サテリコン日誌』(1971)で男女が混合する俳優たちを魔法の一振で操っていたように、膨大な情報の点と点を自在につないでコロンボ研究を構築している。その記述の博覧強記ぶりは、ユイスマンスの『さかしま』にも通じる知的な快楽を読者にもたらす。コロンボとヒッチコック映画の関係も、単なる出演者のつながりではなく、構造的な照応として描かれる。

 特に『泥棒成金』には、『コロンボ』に後に登場する老優2人が出演している。保険屋ヒューソンを演じるジョン・ウィリアムズ(「ロンドンの傘」)と、富豪夫人マダム・スティーヴンを演じるジェシー・ロイス・ランディス(「もう一つの鍵」)である。著者はこの客演がリーやミランドのような単なる「特別出演」とは訳が違い、「この「ヒーロー&ヒロイン、その〈黒子〉としての血縁者」による四角形、更に「犯人」という遊撃者」という5人構成による“駆動構造”ととらえる。『泥棒成金』が本書で特別視される理由はここにある。

 さらに、『泥棒成金』でグレース・ケリーがオープンカーで疾走する場面を引き合いに出し、『コロンボ』のエピソード「死者の身代金」に登場する女性弁護士がセスナ機でコロンボを翻弄する場面と照応させる。しかも『泥棒成金』主演俳優「ケーリー・グラント」から「ケー」を取ると「リー・グラント」になるという言葉遊びまで添えられていて、それが「死者の身代金」主演女優だとあざやかに引き出す。著者の知的遊戯は徹底されている。

 本書巻末として収録されている「死者の身代金」作品評の最後では、コロンボの空中体験が「SMシーン」だと指摘され、「2人の命を預かる操縦桿が、責める手から震える手に受け渡されるアップは、女王が奴隷に鞭を渡し、お前はこれを打ちたいだろう、今すぐ打ってみよと命ずるシーンであり、果たしてコロンボは見事に操縦を果たし、一種のエクスタシーを得る」と書かれている。読者もまた手に汗握るこの作品評は『刑事コロンボ研究 下』のプレビュー扱いなのだが、下巻に向けての期待を軽やかに示しつつ上巻を締めくくる。続編が「最低でも2倍化する予定」だとも告げられ、本書の余韻と熱量は読者の想像をさらに掻き立てるのだ。

■書誌情報
『刑事コロンボ研究 上』
著者:菊地成孔
価格:1,650円
発売日:2025年4月23日
出版社:星海社

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