吉田戦車 なぜ日常エッセイ漫画家へ「転身」したのか? 『伝染るんです。』から紐解く作家性
吉田戦車のギャグ漫画は本当に不条理なのか
ところで、「不条理ギャグ漫画」とは何か、という話を最後にしたい。
というのも、そもそも吉田の漫画は不条理なのか、という疑問を私は昔から抱いているからだ。
たとえば、いま述べたように、「4コマの構成が合理的ではない」(=「起承転結」という定型から大きく逸脱している)という点をもって不条理だというのならわかる。だが、一般的に吉田の漫画を不条理だという場合、それは形式ではなく、内容に対していっているのではないだろうか。
だとしたら、私は、やはり吉田の漫画は不条理ではないと思う。なぜなら、のちに発表された『ぷりぷり県』などを読めばよりわかりやすいのだが、吉田戦車という漫画家は、一見わけのわからない世界を描いているようだが、実は、1つ1つの作品を「合理的」に考えて漫画を描いているからだ。また、言い間違いや聞き間違いなどをもとにした、ベタなネタも意外と少なくない。
だから、(少なくとも私にとっては)吉田のギャグ漫画は、頭で理解できたうえで、“笑える”ものなのだ。これを不条理とはいわないだろう(つまり、吉田の漫画は、偶然性や無意識を重んじるシュルレアリスムよりも、理論に基づいて書かれているナンセンス文学の方が近いといえよう)。
たぶん、言葉の本来の意味での「不条理ギャグ」とは、つげ義春の「ねじ式」を読んで、「なんだかわからないが、笑いそうになってしまう」感覚がいちばん近いように思う(むろん、「ねじ式」はギャグ漫画ではないが、この笑いを誘発する感覚を活かして、江口寿史は「わたせの国のねじ式」という傑作パロディを描いた)。あるいは、榎本俊二の『GOLDEN LUCKY』のような、人によってはその“笑い”がまったく理解できない突き抜けた作品をこそ、不条理ギャグと呼ぶべきだろう。
いずれにせよ、吉田戦車は、90年代初頭に、4コマ漫画の方法論を革新した。しかし、それは、一般的に思われているような、不条理ゆえの新しさではなく、形式的にも内容的にも、極めて合理的に考え抜かれたうえでの革新だったのである。