リアルなスパイ、どんな活動をしている? 漫画・アニメとは異なる大原則といえば?
■リアルなスパイ、一体何をする?
フィクションにおいて、スパイものは花形ジャンルの一つだろう。情報機関や防諜機関と呼べるような専門的な組織が存在しないわが国では、スパイといえば、アニメ、漫画の題材になることが多い。実際のスパイ組織はどのような組織構造でどのような成り立ちなのだろうか? 本物のスパイはどのような活動を行うのだろうか解説する。
これについてはオープンに手に入るとても貴重な資料がある。元CIA工作員のロバート・ベアによるノンフィクション『CIAは何をしていた?』である。
ベアによるとCIAで諜報を担当する部署は大雑把に二つに分かれ、DI(Directorate of Intelligence、情報本部)とDO(Directorate of Operation、工作本部)が存在するとのことだ。DIは情報を分析するアナリストの部署で、DOは情報収集を実地で実行する工作員の部署である。フィクションに登場するCIAのキャラクターは大抵DOの工作員だが、まれにDIのアナリストが主人公の場合がある。トム・クランシーの没後もメディアミックスされ続けている「ジャック・ライアン」シリーズのジャック・ライアンがそうだ。アナリストは高学歴が求められ、博士号か最低でも修士号を持っていることが条件になる。ジャック・ライアンは珍しい例で、CIAに所属する設定のキャラクターを主人公にする場合、ほとんどはDOの工作員である。
「スパイ」と言うと多くの人は『ミッション:インポッシブル』シリーズのイーサン・ハントや『007』シリーズのジェームズ・ボンドのようなアクションヒーローを思い浮かべることだろう。ベアは『CIAは何をしていた?』の中で、DOに所属する工作員がどのようなことを行うか、自らの体験をもとに詳細に記しているが、現実のスパイはかなり地味だ。CIA工作員はまず、身分を偽って敵国の外交官、軍の高官、政治家など重要な情報を持っていそうな人物に接触し、実際にその人物が重要な情報を知っているかどうか値踏みする。重要な情報を持っていると判断出来たら、その人物に自身のCIA工作員としての身分を明かし、「相手の弱みを握る」、「愛国心に付け込む」、「賄賂を渡す」などの方法で情報をリークさせる。実に地味だ。そして地味だが危険だ。なぜなら多くの国でスパイ行為は死刑(死刑廃止の国ではおそらくその国の最も厳しい刑罰)が適用される重罪だからである。
このような地味な諜報戦に戦闘行為が介入する余地はない。ベアはCIA入局後に数か月の準軍事訓練を受けているが、この訓練について「新人に団結心を植え付けるため」との解釈を記している。「DOがいちばん望まないのは、局員がどこか東欧の首都で爆弾を破裂させてまわったり、悪党と撃ち合ったりすることだ」とも述べている。イーサン・ハントやジェームズ・ボンドがフィクションの産物であることがよくわかる一節である。
そのため、スパイにとって最も重要なことは「目立たない」ことになる。『CIAは何をしていた?』を原作とした映画『シリアナ』でジョージ・クルーニーが演じたCIA工作員は原作者のベアをモデルとしているが、クルーニーが役作りでしたのは髭を蓄えて体重を増やし、日焼けして見た目を地味にすることだった。中東で目立たない風貌でいるにはそれが効果的だからである。モデルになったロバート・ベア自身も髭を生やして、イランのパスポートを持ちイラン人になり切ったことがあると語っている(ベアはアラビア語が堪能だが、イラン訛りがあるとのこと。
イランはアラビア語圏ではなく、ペルシャ語圏なのでペルシャ語訛りなのだろう)『シリアナ』にジェームズ・ボンドやジェイソン・ボーンのような派手な立ち回りは一切無い。地味だがこれがリアルなのである。元MI6局員のジョン・ル・カレの小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を映画化した『裏切りのサーカス』は、スーツを着たオヤジたちがシリアスな顔をしてぼそぼそ話している場面が大半を占めているが、スパイのリアルを描くとこのような地味な画面になりがちである。
ただしスパイが全員地味だったわけではない。第二次大戦時に暗躍したリヒャルト・ゾルゲは近代史上最も有名なスパイの一人で、ロシアでは英雄扱いされている。表向きの偽経歴のことを「レジェンド」や「カバー」と言うが、ゾルゲのカバーはドイツ紙の記者だった。ゾルゲは複数人の女性と浮名を流すプレイボーイで、大酒のみで社交的だったそうだ。まるでジェームズ・ボンドさながらである。ひょっとしたらイアン・フレミングの頭には007のキャラクター造形にゾルゲのイメージがあったのかもしれない。ゾルゲの私生活は派手そのものだったが、そんなに派手で社交的に動き回っている人がスパイだと誰も思わなかったのだろう。スパイの基本には反するが、これはこれで効果的な方法と言えるのだろう。同じく第二次大戦中に暗躍したソヴィエトのスパイ、ルドルフ・アベルが地味な風貌のおじさんだったのとは対照的である。映画『ブリッジ・オブ・スパイ』ではマーク・ライランスがアベルを演じていたが、彼も地味な風貌のおじさんである
こちらはアクション映画だが、ジェイソン・ボーンを主人公とするシリーズにもリアルが垣間見える。実際のスパイにボーンのような戦闘能力は求められないが、同作のボーンは数人の相手を瞬時に叩きのめせるような戦闘力を持ちながら、戦う事より逃げることを優先している。
スパイの鉄則はまず「目立たない」ことだが、危機に陥った時に選択するべきはまず「逃げる」「隠れる」で「戦う」は最終手段である。ボーンは敵に見つかるとまずは逃走経路を把握して逃げ道を確保し、逃げ道が亡くなった時の最終手段として戦闘を選択していた。スパイは大掛かりな武器を持ち歩けるわけではないので、戦闘になってしまった場合、その場にあるものを武器にするのも重要なスキルになる。『ボーン・スプレマシー』劇中でボーンがその場にあった雑誌を丸めて、刃物を持った相手に対抗していたが、『近現代 スパイの作法』には新聞紙を丸めて棍棒にするメソッドが紹介されている。雑誌を使うのも新聞紙を使うのも根本的には同じ発想だろう。劇中でジェイソン・ボーンが複数の国籍のパスポートを持っている描写があったが、ベアもパスポートを複数持っており、その中には外国籍のモノもあったそうだ。本名のパスポートだけは無かったらしい。