つば九郎、なぜ球団を超えて愛されたのか 漫画、ファンブック……大きな足跡と魅力を振り返る

 2025年2月19日、プロ野球球団東京ヤクルトスワローズの公式HPにて「これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました」と発表された。ヤクルトファンは勿論、プロ野球ファンを始め各界から多くの悲しみの声が日本中を駆け抜けた。

 数多くの哀悼コメントが届く中、東京ヤクルトスワローズ監督であり、選手時代から共に球団を支え続けた高津臣吾監督がつば九郎に宛てた手紙は多くの感動を呼んでいる。


 本記事では1994年のデビューから30年以上の長きに渡り、つば九郎という唯一無二の球団マスコットキャラクターが残してくれた功績を振り返っていきたい。

球団の顔、公式マスコットキャラの影響力

 プロ野球球団マスコットキャラクターの歴史は古く、1978年には西武ライオンズの「レオ」というキャラクターが誕生している。ちなみにデザインは漫画の神様、手塚治虫が手掛けている。その後も1985年に阪神タイガースのトラッキー、1992年には読売ジャイアンツのジャビットくん、1994年につば九郎、ほぼ同時期に中日ドラゴンズのドアラと、誕生から30年以上に渡り第一線で活躍しているマスコットも多い。

 子供人気は勿論のこと、選手とファンを繋ぐ架け橋の存在を担う球団マスコットの存在価値は大きい。その中でもつば九郎が残した功績は計り知れない。2014年から2021年まで8年連続で球団グッズ売上第1位に輝き、2022年に1度は2位に陥落するものの、その翌年にヤクルト球団の顔、球界を代表するプレーヤーの1人、村上宗隆内野手からグッズ売上1位の座を取り戻すなど球団への貢献度は非常に高い。

 2024年末の契約更改では、毎年のことではあるが年度末までに交渉がまとまらず越年の末、最終的に年俸6万円+ヤクルト1000飲み放題という破格の条件での妥結となった。コストパフォーマンスもさることながら、マスコミへの話題作りにも事欠かない稀有な存在であることは疑いようがない。

 また、2024年9月11日発売の女性グラビア誌『anan』で中日ドラゴンズのドアラと共に球団マスコット史上初の表紙を飾るなど、球場の外でもファンの目に触れられる突出したキャラクターなのである。

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