白泉社新社長・高木靖文「少女マンガ、かくあるべしと縛ることは絶対にしない」50年紡がれた『花とゆめ』のDNA

――キャリアのスタートは『LaLa』編集部でした。

高木:ええ、僕は『LaLa』に配属されて、「誰か担当したい作家さんいる?」と聞かれたので、「わかつきめぐみ先生と安孫子三和先生」と即答。

 お二人とも絵柄も新しくてカッコいいと思っていました。実際にお二人の担当を任させてもらい、2年後にはわかつき先生のSFコメディ『So What?』の立ち上げに関わることができました。

 しかし、当時角川書店(現KADOKAWA)が『月刊Asuka』(現『ASUKA』)という少女マンガ雑誌を創刊。当時、『LaLa』で描いていただいていた、いわゆる24年組と呼ばれる、その前後のベテラン作家さんたちが一斉に移籍されたんです。

――カンバン作家陣がごっそり引き抜かれたわけですね。

高木:僕らが早急にやらなくてはいけなくなったのは「次のスター作家を生み出す」ことでした。

 そこで、すでに増刊や読切作品などで活躍していた当時の若手新人作家の方々を対象に、LaLa誌上で『シンデレラ賞』という読者が選ぶコンテストを実施したのです。

 結果、1位となったのが後に『月の子』などを描かれる清水玲子先生、2位が後に『みかん絵日記』などを描かれる安孫子三和先生でした。こうした若い才能を掘り起こして、それまでの成田美名子先生や樹なつみ先生のようなすでに活躍されている若手作家とともに、若い世代を中心に新しい少女マンガづくりを進めていきました。

 こうした先生方と僕は年齢が近かったこともあり、一緒に時代を過ごしてきた感があります。先に述べたように当時は青年誌が伸びていて、大友克洋先生の『童夢』や『AKIRA』が大人気になっていた頃。しかし僕ら編集者も作家陣も、青年誌をつくっているのと変わらないイメージで、青年も少女もなく「一番かっこよく、おもしろいマンガをつくる」気概でやっていましたね。

白泉社新社長・高木靖文氏

――その延長線上に1997年の大人向けで本格的なSFやファンタジーが多く載った少女マンガ雑誌『MELODY』の創刊があったのでしょうか?

高木:そう思っています。立ち上げメンバーのひとりとして携わり、最終的には編集長を担当しました。

 もっとも『MELODY』は当初、レディースコミックを手掛けている部署から出てきた企画で、コンセプトは「働く女性をターゲットに、レディコミと少女マンガの間を埋めるマンガ誌」だったんです。

 僕はこれに反対しました。すでに他社が全く同じコンセプトの雑誌を先行していましたからね。二番煎じ三番煎じでは、勝ち目が少ない。何より、白泉社らしくない。強みが活かせません。

 だから、僕は清水玲子先生に「表紙用に男性キャラクターを描いてください」と依頼。樹なつみ先生には「これまで以上にハードなSFをやりましょう!」とお願いして『獣王星』という作品を描いていただきました。岡野史佳先生には、それまでのキラキラした恋愛少女マンガではなく、南米高地で見つかった古代人が現代に蘇るSFアドベンチャー『オリジナル・シン』を描いていただきました。

――結果として、「カッコいい」という青年誌のような形容が似合う、ユニークな少女マンガ誌が生まれた。

高木:はい。ただ売り上げ部数的には最初はかなり苦戦しましたけどね。

 それでも新しい挑戦的な少女マンガを狙い、少女マンガの枠を意識しないで、たくさんの作家さんたちに次々と声をかけていました。『いいひと。』や『最終兵器彼女』で知られる高橋しん先生なんかもそのひとりですね。

 そうこうしているうちに、マンガ好きの方々の支持をじわじわと増やしていき、雑誌として盤石になったのは、夢枕獏先生原作で、岡野玲子先生が描いた『陰陽師』の連載が始まってからでした。

――『陰陽師』は、それまで他社の雑誌で連載していたとか。

高木:ええ。スコラ社の『コミックバーガー(後にコミックバーズ)』で連載されていました。大学の漫画研究会の後輩がそこの編集者だったので毎号読んでいて、大ファンでした。

 ある日、『MELODY』の部数会議の席で、「また部数さげられるだろうなあ」なんて思っていたら、なんとスコラ社の倒産のニュースが入ってきたんです。社長以下幹部が揃っている部数会議でしたから、とっさに「『陰陽師』を取りに行ってよろしいですか?」と提案し、その場で承諾を得て、すぐに夢枕獏先生と岡野玲子先生にオファーを出して実現しました。かつて青年誌でやっていたマンガ、しかも夢枕獏先生の原作ですからね。当時は「少女マンガ誌でやるとは!」と世間から驚かれました。

 結局、『陰陽師』がはじまって、売り上げ部数が伸びて安定したのはもちろん、「岡野先生が描いているなら…」とまたさらに素晴らしい作家の方々が描いてくれるようになったのも、大きかったです。後のよしながふみ先生の『大奥』など、まさにその流れです。

――実写映画やアニメ、ドラマにもなった男女逆転による『大奥』ですね。

高木:僕が編集長になってからでしたが、最初、担当者が話を持ってきたときは、全く別の話だったんです。プロットがすでに最高だったので、ゴーサインを出したのですが、しばらくあとに担当者が「すいません、その後もよしなが先生と打ち合わせた結果、まったく別の話になって。時代劇で、徳川将軍家を舞台にしたある種のSFになりました」と。

 最初は驚きましたが「さらに、おもしろそうになったね!」と連載をはじめた記憶があります。

白泉社新社長・高木靖文氏

――多くのヒット作、名作の誕生を目の当たりにしてきた高木さんが、考える「成功する作品の条件」みたいなものはありますか?」

高木:難しいですね。ひとつ言えるのは、繰り返しになりますが「マンガとはこういうもの」「女性向けだからこうしよう」「青年誌にふさわしいプロットで」といった枠というか、固定観念みたいなものは意識しないことだと思います。

 成功というのかわかりませんが、王道や当たり前を狙うのではなく、作家さんが「何か新しくおもしろいことを形にできる」こと。それこそが“良い作品”が生まれる条件かもしれません。

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