不朽の名作『銀河鉄道999』『幻魔大戦』のアニメ版監督・りんたろう、自伝的漫画で描く日本のアニメ発展史
4Kリマスター版が上映されて話題の映画『銀河鉄道999』(1979年)や、KADOKAWAがアニメに参入するきっかけとなった『幻魔大戦』(1983年)を監督し、日本のアニメ映画が世界で大人気となる道を拓いたりんたろう監督が、自伝的な漫画『1秒24コマのぼくの人生』(河出書房新社)を描いた。アニメの世界に足を踏み入れ、手塚治虫と出会い、数々の作品を作り上げるようになったその経験から、日本という世界屈指のアニメ大国が生まれ育った歴史が分かる。
10代からアニメの世界へ
毛織物会社のアイロンがけからアニメ監督へ――。『1秒24コマのぼくの人生』にはそんな、りんたろう監督の意外な経歴が自信のペンで描かれている。父親が大好きだった映画に自分も関心を持ち、映画を見たり絵を描いたりシナリオを書いたりしていた林重行ことりんたろう。中学を出て毛織物会社に就職したものの映画への夢を捨てられず、新聞で見た求人広告でCMフィルム制作会社に転職し、アニメの絵を描く仕事に携わる。
しかしわずか2ヶ月で倒産してしまい、次に入ったCMフィルムの会社では仕上というセルに色を塗る行程をサポートする仕事をしていた。そして、東映動画(今の東映アニメーション)が『白蛇伝』(1958年)という、日本初のカラー長篇アニメ映画の制作を始めたことを知り、自分も関わりたいと手紙と履歴書を出したところ、仕上部で臨時採用されて入社した。1958年夏、17歳の時だった。
東映動画といえば、宮﨑駿監督や高畑勲監督を輩出したスタジオとして知られているが、りんたろうが入社した時は2人とも入社前。大学を卒業して入ってくる2人とはキャリアも違っていたようで、『1秒24コマのぼくの人生』には宮﨑も高畑も出てこない。一方で、傑作と名高い『宮沢賢治 銀河鉄道の夜』(1985年)を手がけた杉井ギサブロー監督については、昼休みに噴水のある中庭で出会ってから仲良くなり、その後も親交を続ける様子が描かれる。
この出会いも含めた様々な人たちとの交流を通して、日本でアニメが作られ、世の中に広がっていった様子が綴られていく。それはまさに、漫画で読む日本のアニメ史だ。
手塚治虫との出会い 虫プロ時代
杉井監督が東映動画を去った後、大学を出ていなければ演出の仕事ができないと言われたりんたろうも、追いかけるようにして東映動画を辞め、杉井と同じ場所に向かう。手塚治虫が設立した虫プロダクションだ。ここでの出来事など、日本がTVアニメ大国となった理由そのものだ。
虫プロでは、『鉄腕アトム』に関わることになったりんたろうたちに、手塚が目や口だけを3、4枚の絵で動かして作画枚数を減らす方法を伝えたり、忙しい手塚の負担を減らすために、別の演出家が他の幾つかのエピソードを平行して制作する仕組みを編み出したりする。これらは、今の日本のTVアニメでも使われている方法で、源流が虫プロにあったことが分かる。
先輩たちから『鉄腕アトム』を電気紙芝居と貶されても、「言わせておけばいいさ」と気にもとめないりんたろうの態度には、自分たちが作っている作品への強い自信が感じられる。スポンサーの明治製菓の商品が良く売れ、『狼少年ケン』や『宇宙少年ソラン』『鉄人28号』といったTVアニメが後を追うように作られたことにも触れていて、そうした道を拓いたことへの自負も伺える。
手塚に関するエピソードも面白い。りんたろうが暮らすアパートに夜、訪ねて来た手塚がラッシュ・フィルムのチェックを頼んだ。手塚が漕ぐ自転車の荷台に座って一緒にスタジオに戻ったというから、お互い強い信頼で結ばれていたのだろう。こうした経験があったから、後に手塚原作の『メトロポリス』を、りんたろうが是非アニメ映画にしたいと思ったのかもしれない。
『宇宙海賊キャプテンハーロック』、『銀河鉄道999』の大ヒット。そして監督へ
監督になって自分の映画を撮りたいというりんたろうの夢も、この頃から形になりはじめる。大卒しか演出になれない東映動画を出て、虫プロで『ジャングル大帝』のチーフディレクターを務め、『佐武と市捕物控』や『ムーミン』などを手がけてから虫プロを離れ、古巣の東映動画でTVアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』のチーフディレクターを務めといった具合に、演出家として大活躍し始める。
『ハーロック』については、脚本の上原正三が「まゆ」という原作にはいない少女を設定したことに、ハーロックの地球への思いが際立つと理解を示し、作画監督の小松原一男にTVアニメの画一的な動作とは違う表現をしたいと言って、人生の哀しみを背負ったハーロックの立ち姿や歩き方に挑戦させた。原作の漫画とは少し違った『ハーロック』の展開に、どのような演出家の意図があったかが分かって、改めて見返してみたくなってくる。
当時の東映動画の社長が泣いたという『ハーロック』の功績を認められ、映画『銀河鉄道999』の監督を任されたことは、全ページ使ったコマで「ついに映画の神様がやってきた」と書くくらい、りんたろうの人生にとって大きな意味を持っていたのだろう。同時に『銀河鉄道999』の大ヒットは、自身が「来るべき劇場アニメブームの先鞭をつけた」と語るくらい、日本のアニメ市場に大きな変化をもたらした。
何しろ角川書店がアニメ映画に乗り出し、今のKADOKAWAアニメ隆盛の源流となったほど。その作品『幻魔大戦』の監督を任されたのがりんたろうだった。そこでキャラクターデザインを大友克洋に頼んだ経緯も興味深いが、テーマ曲を手がけたキース・エマーソンに関するエピソードもユニークだ。1週間しかない日程の中、事前に送っておいた絵コンテをしっかりと把握し、上半身裸になり食事代わりのワインを飲みながらキーボードに向かったという。それであの音楽が出来たのだから、さすがは世界的なミュージシャンだ。