中世でも近代でもない、ヨーロッパ「近世」の特徴とは? 宗教、経済、帝国、戦争で捉える新たな歴史観
人々をまとめ上げる「紐帯」は1つではない
――本書では、ヨーロッパ近世を特徴づける要素として、今おっしゃった宗教をはじめ、経済、帝国、戦争という4つの構成要素を、それぞれ検討していきます。
岩井:国ごとの特色ではなく、ヨーロッパ近世を通じての特色を考えていく上で、宗教、経済、帝国、戦争という4つの構成要素を考えて、第一部と第四部で、それをひとつひとつ検討していきました。先ほどの宗教の話がそうであったように、4つの要素のすべてが主権国家のまとまりをもたらせていったわけではなく、ときにはそれらの要素によって、分断や紛争が促されることもありました。
また、近年の歴史学が明らかにしてきたことのひとつとして、帰属心(アイデンティティ)というのは、必ずしも国家に対してだけではなく、もっと身近なもの――たとえば、地域や家族に対する帰属心というものも、やっぱりあったわけです。そもそも、人々のアイデンティティというものは、非常に多元的で重層的であるはずなのに、歴史の話になると、どうしても国家が前面に出てきてしまう。人々の多様なアイデンティティが、近現代のナショナリズムによって、アイデンティティが国家に対する帰属心に一元化されてきたとでも言えるでしょうか。私はそれを見直していく必要があると考えています。
本書では「紐帯」という言葉を使いましたが、要するに国家というものは、放っておくと宗教対立などがあってバラバラになってしまうから、あの手この手で――あるときは宗教を使ったり、あるときは経済を使ったり、あるときは戦争に向かう中で、人々を「国民」としてまとめていかなければならなかったのです。「先に主権国家ありき」ではなく、作為的に結集力を作り上げていった。そうであるならば、その「紐帯」が国王や君主政とは別の形で作られることもあるのではないか。イギリスやオランダのように、議会や商業活動が「紐帯」となることもあったわけです。さらに言えば、近世ヨーロッパというのは、今までは国単位で見られてきましたが、昨今のEU(欧州連合)の動きがそうであるように、もう少しグローバルな広域秩序や地域の自立性、あるいは多様な帰属心といったもので捉え直すことができるのではないか。それも、本書で描きたいと思ったことです。
――なるほど。では本書をどんな人たちに、どんなふうに読んでもらいたいと思っていますか?
岩井:2022年度から高校の必修科目として「歴史総合」という、日本史と世界史を横断的に学ぶ科目が設置されました。日本の教育現場においても、日本史と世界史は別個にあるのではなく、両者を架橋し、一国史を相対化しながら、ひとつのものを作らなくてはいけないという考え方になってきています。歴史には、単にナショナリズムを高めるのではなく、国境をこえたグローバルな動きも捉え、国際的な対話をはぐくむ役割があるはずです。そのため、一国史を越えようとする本書を、教育現場にいる先生方や高校生、大学生の皆さんにぜひ読んでいただきたいと思います。もちろん、国内外で頑張っている社会人の方々にも手に取っていただければ幸いです。ただ、「歴史総合」という科目は近現代を対象としているため、19世紀半ば以降――それこそ、アヘン戦争や明治維新以降は、日本史と世界史をひとつのものとして見ていくことができるけれど、その前段階である「近世」については、少し置き去りになっているような印象があります。先ほども言ったように、日本の近世というと、主に江戸時代になりますが、江戸時代と言えば「鎖国」が思い浮かびますね。最近は鎖国ではなく「海禁政策」と呼ぶにようになっているのですが、その頃も長崎などを通じてヨーロッパの情報は結構入ってきていて、それに対応するような状況も実際にはあったわけです。
――江戸時代にも、いわゆる「蘭学」と言いますか、ヨーロッパの学術や文化は結構日本に入ってきて、ある程度の影響を与えていたわけですよね。
岩井:そうです。鎖国というと、あたかも外の国との関係がなかったように感じますし、歴史学の中にも、以前は、江戸時代は他国との関わりに目を向けなくても捉えられるという雰囲気がありました。しかし、最近は随分と変わってきて、日本史の分野でも対外関係を考慮し、東アジア史や世界史の中で日本を捉えるような研究が、盛んに行われるようになっています。
――戦国時代後期から、カトリックとプロテスタントの勢力争いが、日本で行われていたような状況もあるわけですからね。
岩井:そうですね。最初にスペインとポルトガルが入ってきて――それこそ、ポルトガルから鉄砲が伝来して、それが戦国大名たちの趨勢に大きな影響を与えてきました。その後、17世紀になると、本書でも見ていったように、ヨーロッパではスペイン、ポルトガルに代わって、オランダ、それからイングランドが勢力を増していった。だから、近世の日本がオランダをパートナーとして選んだのは、実はすごく重要なポイントです。その時期のヨーロッパを見れば、オランダが実力を持っていたことがわかるので。
――たしかに。
岩井:こうしてみると、日本の近世を考える上でも、ヨーロッパの近世を見直していくことは、とても意味のあることだと思います。その取っ掛かりとして「主権国家から国民国家へ」といった歴史像を疑ってみる、あるいは、それをちょっとずらして考えてみても良いのではないでしょうか。本書が、そういった歴史観を養うきっかけになると嬉しいです。
■書籍情報
『ヨーロッパ近世史』
著者:岩井 淳
価格:1,210円
発売日:2024年8月8日
出版社:筑摩書房