横溝正史、生前刊行されなかった唯一の作品『死仮面』復刊ーー書評家・千街晶之が2種の文庫版を対比
■よりオリジナルに近づけての復刊
同じ春陽文庫から今回刊行された『死仮面〔オリジナル版〕』は、タイトル通り横溝のオリジナル版だが、かつて春陽文庫から出た時に改変された用語を復元し、可能な限り連載時の表記に近づけたものである。のみならず、晩年の横溝が手を加えた『死仮面』の草稿の写真が掲載され、そこから読み取れる改稿の意欲を論じた二松学舎大学教授・山口直孝の解説が収録され、更に横尾忠則の装画、金田一耕助俳優として知られる石坂浩二の推薦文……と、ミステリ研究家・日下三蔵の企画による探偵小説復刊シリーズの第1回配本に相応しい陣容となったわけである(第1回配本のもう1冊は甲賀三郎『盲目の目撃者』)。
春陽文庫版で復元された箇所は、川島女子学園校長・川島夏代とその母・加藤静子が言い争う「妖婆」の章と、夏代が死体となって発見される「灯りの洩れる窓」の章であり、角川文庫版ではこの2章は「妖婆の悲憤」「校長の惨死」と題されている。加藤静子は、作中に登場する川島夏代・上野里枝・山内君子という父親が異なる3姉妹の母であり、若い頃は美貌の持ち主だったが惚れっぽい性格が災いして身を持ち崩し、今では教育者となった夏代や里枝の弱みを握るかたちで川島家に同居している。「妖婆」の章では、地下室から現れた夏代の挙動を車椅子の静子が怪しんで問いつめるのだが、実は静子と夏代の長い台詞があるのはこの章しかない。従って、この章があるかないかで、静子および夏代というキャラクターの印象は全く異なるのである。
中島河太郎が補筆した角川文庫版では、静子は「いい加減なことを言うものじゃない。もし、君子を隠していないというのなら、もう、君子はこの世のものじゃないのだ。数日まえにあらわれた君子をおまえも見たはずだが、あれは君子の幽霊じゃ。おまえたちの殺した君子が、おまえのところに怨みをいいに来たのじゃ。わたしのところにはそれを訴えに来たのじゃ。そうでないというのなら、君子をいまここに連れて来ておくれ」と夏代を居丈高な態度で責め立て、夏代もカッとなって強気な態度で反論する。両者とも、かなり直情的な描かれ方である。
オリジナルの横溝のテキストではどうか。静子は「これ、あなたや、校長先生や。ここはあなたのおうちじゃで、どのようなことをなされようともそれは勝手じゃ。わしがつべこべ言う筋はないかも知れぬ。しかし、ものにはほどがあるぞえ。なんぼ、自分のうちじゃとて、この真夜中に、蠟燭片手に、こっそり地下室へおりていくとは……のう、校長先生や、いえさ夏代さんや、それには何か、かくしごとがあると思われても仕方があるまい。もし、校長先生や、あなたのかくしごとはなんでござりまする」と、実の娘を相手に慇懃無礼の極みとも言うべき、ねちっこい口調で追いつめてゆく。夏代のほうも弱々しく言い訳と反論を繰り返すばかりで、中島が描く強気な夏代とは大きく異なる。「これ、あなたや、校長先生や」「のう、校長先生や、いえさ夏代さんや」と畳みかける静子の口調は、歌舞伎『与話情浮名横櫛』で「御新造さんえ、おかみさんえ、お富さんえ、いやさお富、久しぶりだなあ」とお富に怨み言を並べ立てる与三郎の台詞を想起させ、江戸文芸に通じた横溝らしい味わいが横溢している。
なお、角川文庫版ではノン・シリーズ短篇「上海氏の蒐集品」が併録されており、最初の春陽文庫版では金田一シリーズの短篇「鴉」が併録されていたが、今回の『死仮面〔オリジナル版〕』では、入手可能な角川文庫版の『幽霊座』で読める「鴉」ではなく、金田一シリーズのうち今まで文庫では読めなかった唯一の短篇「黄金の花びら」に差し替えられた。こうした配慮も、編者の日下三蔵ならではの行き届いたものと言えよう。
作中には、夏代のもとに送りつけられたものと、彼女の死体の上で発見されたものという2つの死仮面が登場するが、中島河太郎が補筆した角川文庫版と、可能な限り元のテキストを復元しようとした春陽文庫版の2種類が存在していることは、この2つの死仮面さながらではないだろうか。歿後43年、今なお作品が大きな話題を巻き起こし、読まれ続けている横溝正史の作家としての底力を痛感せずにはいられない。
さて、春陽文庫で始まった探偵小説復刊企画のもう1冊の第1回配本『盲目の目撃者』についても触れておきたいところだが、『死仮面〔オリジナル版〕』だけでだいぶ字数を費やしたので、第2回配本として11月に刊行予定の夢野久作『暗黒公使』および小栗虫太郎『女人果』と併せて紹介したい。
(というわけで、この書評、11月につづく)