安田依央、新作小説『深海のスノードーム』にメッセージ 「今、ここで立ち向かわなければ得られるものは何もない」

 司法書士としても活動していた作家・安田依央が、9月19日に刊行された新作小説『深海のスノードーム』(中央公論新社)に寄せて、自ら執筆したプレスリリースを公開した。

 『深海のスノードーム』はゲイ、アセクシュアル、 ノンバイナリー、X ジェンダーといったジェンダーやセクシャリティの問題を通じて、現代の日本社会が抱える「普通であることのプレッシャー」と、死に対する解放感を鋭く描き出した作品。ノンバイナリー、アセクシュアルを自認する著者自身の深い葛藤と、社会への批判を、主人公の女性に投影し、彼女がどう受け取り、立ち向うかをエンタメ小説に仕上げている。マイノリティのみならず、今を生きるすべての人に新たな問いかけを投げかける一冊となっている。

 以下、安田依央によるプレスリリースを掲載する。

舞台と物語の概要

 本作の舞台は、大阪の淀川河口近く、海を望む古い洋館にある元喫茶店「待合室」。透明な海や夕 陽に照らされる波、青いゼリーやソーダ水など、抒情的で美しい風景とノスタルジックな空間が登場人物たちの心情を反映し、物語に奥行きを与えています。

 主人公は 23 歳の女性。幼い頃から「女の子」であることを強要され、男性と恋愛することが当たり前の社会で違和感を募らせ、孤立しながらも、懸命に「普通の女」であろうともがいてきました。ある日偶然手に取った中古レコードに挟まっていたのは「死にたいなら待合室へ行くといい。 やさしい死に方を教えてくれるから」というメモ。物語にはさらに、保守的な婚家で自分を否定され、尊厳を奪われた女性、「男らしさ」の呪縛に囚われ、ゲイであることを隠し続ける青年が登場します。彼らは、本来の自分を抑圧し、社会の求める「普通」の枠に自らを押し込めようと苦しみ、もがき、ここへ集まってきました。彼らが目指すのは「安楽の種」を使って、後悔なく安らかに死ぬこと。

「普通であるべし」という現実――多様性への問いかけ

 LGBTQの概念が広まり、表面的には多様性が認められているように見えても、「普通でなければ受け入れられない」「普通でなければ損をする」という現実が未だに根強く残っています。

「自分は普通だ」と思っている人々にも、この物語を読んでほしいと著者は考えています。多くの人が、社会の期待や圧力に従いながら、無理やり「普通」の枠に自分を押し込んでいるかもしれません。気づかないふりをしながら、心のどこかで生きづらさを感じているのかも。本作は、そうした人々に対しても「自分とは何か?」を問い直すきっかけになることを目指しています。

結婚や恋愛に寄らない、新たな関係性の提示

 本作のもう一つの大きなテーマは、家族や恋愛に依存しない新たな関係性の模索です。主人公は、恋愛できない自分には「大切な人」がいないと感じていますが、作中出会うのは家族でも恋人でもない、名前のない関係の仲間たちです。結婚や恋愛という既存の枠組みから解放され、3 人の登場人物が互いに大切にし合う関係として生きていくことが描かれます。この「名前のない関係」は、 現代社会における新しい人間関係の可能性を示唆しています。従来の家族像が揺らいでいる今、結婚や恋愛に縛られない自由な関係性が、孤独を癒す一つの選択になり得るのかも知れません。

物語の象徴――安楽の種

 本作に登場する「安楽の種」は、全てに感謝しながら安らかに死ぬことができるが、少しでも後悔や心残りがあると使用できない特別なアイテムです。この種には感情を増幅する作用があるため、使用できるのは、その決断やそれまでの生き方に納得し、肯定できる者のみ。登場人物たちは、過去の後悔やトラウマに向き合いながら、それぞれの死と生き方を見つめ直します。

著者からのメッセージ

 小説家としてデビューして 14 年、どれだけ物語を紡いでも、何かが欠けていると感じていました。 司法書士として働きながら執筆を続け、常識的な自分と常識の枠に収まらない自分との間で板挟み になり、納得のいくものが書けずにいたのです。それはひとえに自分の根幹をなすアイデ ンティティの問題に見て見ぬふりをして蓋をしていたため。土台の部分が揺らいでいる状態で、ど れほど物語を積み上げてもどこか上滑りの「小説もどき」にしかならなかったのです。私は現在 58 歳です。この先の人生はそう長いものではないでしょう。今、ここで立ち向かわなければ得られるものは何もない。覚悟を決めた私は司法書士を辞め、自身のジェンダーやセクシャリティの 問題と正面から向き合い、全力で今回の作品に取り組むことにしました。

 執筆を通じて気づいたのは、自分が何者であるかということだけではありません。社会が「常識」という名のもとに、女性や男性に押し付けてきた役割や期待が、生きづらさの一因であるということも見えてきました。私自身、結婚や出産の経験はありませんし、どちらかというと男性優位の社会の中で男性と互角に戦い、競うような生き方をしてきました。しかし、今では様々な立場の女性や男性たちが存在すること、それぞれが互いを尊重し、認め合うことが大切だと考えています。性別のみならず、同性同士の中でも起こり得る立場の違いによる軋轢なども含め、どちらがより優れているか、どちらがより優遇されているか、どちらがより生きづらいかを競うのでは なく、まずは全員「人間」だと再認識すべきだと思うのです。

 本作は、私自身がノンバイナリー、アセクシュアルであることをカミングアウトする作品です。ア イデンティティを明らかにすることで、差別や偏見にさらされるかもしれないという不安や迷いを感じつつも、この物語を世に送り出すことを選びました。このアクションによって社会に新たな視点を提供し、少しでも変化のきっかけになればと考えています。生き方に迷う人や、生きづらさを抱えている人、自分の生きづらさに気づかず、何とはなしに息苦しさを覚えている人、そして現代を生きるすべての人に、この物語が届き、救いとなることを心から願っています。

■書籍情報
『深海のスノードーム』
著者:安田依央
価格:1,980円
発売日:9月19日
出版社:中央公論新社

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