菊地成孔 × 福尾匠「音楽と哲学の憂鬱と官能」対談 音楽と哲学それぞれの“引用”について

これからの音楽批評の行方

(会場からの質問)いい音楽批評とはどのようなものをイメージしますか。音楽批評を読んで、聞いたことがない音楽を聞こうと思ったことがほとんどありません。

福尾:確かにないかもしれないですね。

菊地:非常に残念な状況ですよね。僕はそうしたいと思ってますけど。

福尾:菊地さんはラジオをやられていますが、広い意味での批評的な話をして、そのあとすぐ音楽を流せるので、とても魅力的な形式ですよね。でも文章だけで音楽を聞きたくさせるというのは難しそうです。

菊地:そうですね。実は今日はCDJを持ってきました。時間が余ったらかけようと用意していて。選曲は、The Beatles『Magical Mystery Tour』収録の「Your Mother Should Know」、ロンドン・パンクで有名なバンドThe Clashの「London Calling」、それから新しい学校のリーダーズの「Tokyo Calling」、その「Tokyo Calling」と全く同じリフを使っているBAD HOPの「Friends」、キングギドラの「空からの力」、それからAwichの「GILA GILA」です。これらを全部立体的に使うことで、21世紀的な音楽の批評ができるという実践をしようと思っていたんですが、今日は時間がないのでまたの機会にということで(笑)。

 これは音構造の分析とカルチャーの分析(カルチュラルスタディーズ)の理想型ですね。日本の批評についぞなかった形だと思いますけど。The BeatlesとThe Clashというのは文化的には絶対に交わらないことになっているけれど、音構造が交わってます。かつThe Clashの「London Calling」と新しい学校のリーダーズの「Tokyo Calling」はかなり意図的に交わっているんですけれど、文化的には交わってない。The Clashのファンは、グロテスクでかわいい日本のアイドルと思しきチームとThe Clash様が同じだとは思っていない。そんな文化的な障壁を超えて音構造は繋がっている。かつ音構造のあり方も複数ありますから、そうしたことがどうやってパスされていくかということによって、複数の音楽を同時に聞きたくなる。こういうことが21世紀の音楽批評にできるんじゃないかなとは思います。

福尾:そのCDJはいつかぜひ別の機会でやっていただきたいです。

 僕は必ずしもその音楽を聞きたくなる文章が良い音楽批評だとは思いません。それだけを読んで面白いようなものでも、全然いい批評になると思います。ただ音楽批評の形がメディア構造や産業構造の要請もあって、新しいコンテンツが出てきたら、それについての言葉がばっと集まって、次の作品が出てきたらまた集まって……という繰り返しに見えてしまうんです。映画もそういう側面が強いですけど。それを超えた蓄積ができる場がないのはしんどそうだなと思います。それはつまるところ、紙の雑誌などの力の弱体化と関係していると思いますが。

菊地:今、音楽は事後的にまとまった散文で批評される対象ではなくなっていく時代にありますよね。音楽を紹介したら、そこにURLを貼っておけばリンクして聴ける。そんな音楽と言葉、音楽と人の関わり合いがメインになっていて。演奏行為は別にして考えた時ですが。

 昔はそれがあたかも文学であるかのように批評は独立してあった。まだそれがあるという幻想がありますけど、もうないし絶滅するでしょうね。それよりは、ライブの内容を紹介してくれたり、何曲目がいいですと書いてその曲にアクセスできるようにしてほしいと。それが今、音楽に付帯している文章との関わり合いとなっている。なので、ルネサンスするしかないんでしょうが、その時はよっぽど文章が面白い方がいい。結局批評は文章なので、批評がつまんないんだとしたら、音楽がつまらないんじゃなくて文章がつまらない。でも極端に言ったら、もう文章だけで曲を聞かなくてもいいよ、という批評があればいい。「こいつの批評の文章が読めれば、俺腹いっぱいだし」と思わせる書き手が出てくればいいだけの話ですから。そういう天才がいつ出てくるかですよね。

■書籍情報
『非美学: ジル・ドゥルーズの言葉と物』
著者:福尾 匠
価格:2,970円
発売日:6月24日
出版社:河出書房新社

『たのしむ知識 菊地成孔と大谷能生の雑な教養』
著者:菊地成孔
価格:2,530円
発売日:7月1日
出版社:毎日新聞出版

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