FORWARD ISHIYA:『終わらないハードコア SLANG KOとKLUB COUNTER ACTION』レビュー

 北海道・札幌を拠点とするハードコアバンド・SLANGのボーカリストにして、札幌の音楽シーンを語る上で欠かせないライブハウス「KLUB COUNTER ACTION」のオーナーとしても知られるKOの半生に迫った自伝的ノンフィクション『終わらないハードコア SLANG KOとKLUB COUNTER ACTION』(石井恵梨子/著)が、10月2日に株式会社blueprintより刊行される。本日9月27日には、同書の特設サイトも公開された。

 刊行に先駆けて、FORWARD / DEATH SIDEのボーカリストであり、『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』などの著作でも知られるISHIYAが、同書のレビューを寄せてくれた。

後先考えるようなちゃんとした人間の発想ではない

 俺は知っている。パンクスという生き物はバカだ。頭が悪いという意味ではない。後先考えずに、思ったことを行動にしてしまう。純粋で一本気と言えば聞こえはいいが、わかりやすく言えば「バカ」もしくは「アホ」である。

 昨今の世界線では、そういった生き方は歓迎されない。何ならネットで吊し上げられてバカにされ、嘲笑されたりなんかもしてしまうかもしれない。

 ただ、やはりパンクスはバカでアホなので、そんなことはお構いなしだ。「そんなもん関係あるか!」とばかりに猪突猛進する。ハッキリ言う。めちゃくちゃカッコいい。

 俺の知っているパンクスたちは、多かれ少なかれ、そんな奴らばかりだ。そして俺は、そんな奴らが大好きだ。

 そんな俺の仲間の中に、絵に描いたようにそのまんま男がいる。それが今回、blueprintから刊行されることになった石井恵梨子『終わらないハードコア』の主人公である、札幌のハードコアパンクバンド「SLANG」のボーカルKOちゃんだ。

 KOちゃんとの出会いは、たぶんツアーで初めて札幌を訪れた1987年だったと思う。無口であまり自分から喋ることがない印象で、基本的には人見知りの男だと思っていた。その後、毎年札幌を訪れるようになり仲良くなったのだが、やはり率先して自分語りをする男ではなかった。本書に登場するL,S,D,のエピソードも、仲良くなって随分と長い年数が経ってから聞いたと思うし、基本的には言葉より行動で人間性が理解できる男だ。

 その行動力に拍車がかかったのは、現在は札幌アンダーグラウンドシーンの中心であるライブハウス「カウンターアクション」を作った頃だと思う。

 当時は、ハードコアパンクのバンドが、札幌でいつもやっていたライブハウス「ベッシーホール」でやらなくなった時期だったのかもしれない。その時に出演した別のライブハウスで、KOちゃんが「もうここ終わるんで、何やってもいいっすよ」と、なんとも嬉しいことを言ってくれた。

 ライブ中に花火などを散々やり、マイクスタンドや椅子なども投げたかもしれないが、大盛り上がりで終わったライブだった。確かそのライブの時だったと思う。「俺、今度ライブハウスやるんで」みたいな感じで、軽く言われた気がする。

 「やるって、そんな簡単に」と、内心かなりウケてしまったのだが、そりゃそうだろう。その頃のハードコアパンクの人間が、ライブハウスをやるなんて想像できないし、冗談でもそんなことを言うパンクスなんて、日本中どこにもいなかった。

 たまたまタイミングが合ったのか、KOちゃんの人間性が引き寄せたのか、それとも意地があったのか。「じゃあ俺がやるよ」と、本当にライブハウスをやってしまう。後先考えるようなちゃんとした人間の発想ではない。ああ、だからKOちゃんはパンクスなのか。

 しかし、その内情は、友人たちや周りの人間の大きなサポートにも支えられたものだった。

被災者の気持ちをいち早く感じ取り、誰よりも早く行動に出た

 猪突猛進で直情型の思いを実現してしまう行動力のKOちゃんによって、札幌は日本でも独特のオリジナリティを持ったシーンになる。そして「札幌の人間たちの感覚が間違いではなかった」と、後に証明されていくこととなる。

 KOちゃんの行動力の凄まじさは、東京ハードコアパンクシーンの人間たちの間でも「KOちゃんすげぇな」と、正直あっけにとられるほどで、その心意気と行動力の影響は全国規模になっていった。

 バンド、ライブハウス経営の他にも、レーベルとレコード店も始めた。俺が新しく始めたバンドのFORWARDでは、KOちゃんのレーベル「STRAIGT UP」のオムニバスアルバムに参加した。FORWARDの初ツアーの時には「札幌をちゃんと知りたいなら、2月っすね」と、雪祭りに合わせた極寒の札幌に呼んでくれた。KOちゃんのバイタリティに拍車がかかりまくっていた時期だったと思う。

 アパレルブランドも立ち上げ、東京に進出した時は、店に遊びに行ったりもした。KOちゃんの先の読めない行動力に対して、「どこまで行くんだろうなぁ」と、個人的に楽しみにしていた時期でもあった。

 初めて韓国のバンドであるSAMCHUNGに触れたのも、KOちゃんが東京でやった企画の時だったし、ニューヨークハードコアの首領と言えるAGNOSTIC FRONT招聘時の東京公演にもFORWARDを誘ってくれた。毎年、札幌へ訪れるなどして交流は深まっていた。そんな時期を経た後の2011年3月11日に、東日本大震災が起きてしまった。

 あの震災と原発事故によって、日本中のバンドに変化が訪れたが、そんな自分ごとのバンド活動などより、被災者の気持ちをいち早く感じ取り、誰よりも早く行動に出たのもKOちゃんだった。

 KOちゃんの迅速な支援行動「NBC作戦」は、被災者だけではなく、どうしたら支援できるのかがわからない人間たちまでサポートする形となり、日本全国の人々を支援する活動に繋がっていった。

 この、とんでもなく素晴らしい行動力と人間性が、広がらないわけがない。こうして日本のパンクスで初めてライブハウスをやり始めた男は、ハードコアパンクバンドとして日本武道館のステージに立つまでになる。

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