神社の起源には温泉アリ? 『ブラタモリ』でも注目、火山と断層と神社の知られざる関係性

中央構造線の上に歴史的な神社あり

中央構造線の露頭

――また、蒲池さんはこの本の中で断層と神社の関係にも注目されています。昨今、巨大地震が相次いでおり、断層に注目が集まっていますが……

蒲池:断層は地震の原因として恐れられ、忌み嫌われていますが、神社の前史を考えるときに避けては通れないテーマです。日本列島で最大の断層である中央構造線のほぼ真上に、諏訪大社、伊勢神宮をはじめいくつかの有名な神社、寺院があるからです。日本列島を東西に分けているのが糸魚川・静岡構造線ですが、このふたつの巨大断層が諏訪盆地で交差しているのです。

――地図で見るとよくわかりますね。それらの神社・寺院がきれいに中央構造線に乗っています。

蒲池:しかも、その交点は4か所に分かれている諏訪大社のうち、諏訪信仰発祥の地と伝わる上社前宮とほとんど同じ場所です。簡単には答えが見いだせない不思議な話ですが、諏訪信仰のはじまりを考えるうえで看過できない事実です。

――これは偶然なのでしょうか。それとも、古代の人々の何らかの意図があったとみるべきなのでしょうか。

蒲池:大地の断裂である断層は直線的な地形を作り出しますから、そこは石器時代から広域移動のための「道」として利用されていました。諏訪の黒曜石、糸魚川の翡翠、伊勢の辰砂(朱色の鉱石、水銀の原料になるので水銀朱とも)など各地の希少鉱物が、中央構造線、糸静構造線の道によって列島規模で流通しています。地震をもたらす断層にはこのような恵みの側面もあることを、神社のはじまりとして考えてみました。

翡翠峡

黒曜石を求めて日本列島に人が移り住む

――蒲池さんはこの本で、日本で多く産出される黒曜石に注目されています。

蒲池:縄文時代をふくめて石器時代は、鉄も金・銀も石炭・石油も知られていない時代ですから、人類の資源的な関心は良い石を手に入れることにあったはずです。実は日本列島は石器素材になる石にものすごく恵まれています。もしかすると世界一かもしれません。その代表格が黒曜石ですが、この石は世界史のうえでも、もっとも優良とされる石器素材です。

――当時の人々にとって、最重要な石なのですね。

蒲池:日本列島に人が多く住み始めたのは、約3~4万年くらい前といわれています。アフリカから出た私たちの遠い祖先は、東アジアを経て日本列島にやってきました。その人たちの目的は、黒曜石だったのではないか。そう仮定してみるとさまざまなデータが矛盾なく整合するように見えます。イギリス人の考古学者が言っていましたが、日本にある旧石器時代の遺跡の数は世界でも突出して多いそうです。考古学的調査の行き届いたヨーロッパと比較しても、日本列島の遺跡数はきわだっているというのです。

――それほど旧石器時代の日本列島には人が多かったのですか。

蒲池:縄文時代の中心といわれるのが諏訪地方で、「縄文の首都」と呼ばれているほどです。人口が多く、縄文のヴィーナスのような優れた土偶を作り出すような高度な技術や文化もありました。これは、諏訪が黒曜石の1、2を争う産地だったからでしょう。黒曜石は溶岩が急冷することで形成されるガラス質の石ですから、火山列島の恵みの典型です。世界全体で見ても、諏訪をはじめ、伊豆、九州など、黒曜石の産地が日本には突出して多く、質のいい石器を作れる素材が得られたといえます。

――黒曜石が手に入り、いい石器が作れたらそれだけ狩猟がはかどるし、調理も容易くできる。これほどの好条件なら人々が移り住むに決まっていますね。

蒲池:旧石器時代は氷河期ですから海面は現在よりずっと低く、大陸と日本は10数キロほどの海峡をはさんでほとんど繋がっていた時期がありました。これは長江、黄河の下流域よりもずっと短い距離です。日本にいい石器の素材があるという話が東アジア世界に拡散して、人が移り住むことになった、これが人口急増の一因ではないかと、半ば空想ながらもそう考えています。火山の産物である黒曜石は、日本という国の成り立ちを考えるうえでとても重要な資源です。その国内最大級の産地が諏訪大社のすぐ近くにあるというのは、けして偶然ではないと思うのです。

――縄文時代は1万年以上続いたと言われますが、それを生み出したのは日本の豊かな黒曜石と考えると、凄いですね。

蒲池:ただ、その頃、大陸の文明の先進地では農業が始まっています。金属の使用も始まり、文字が使われ始めています。ところが、日本では黒曜石の矢や槍で狩猟をして、黒曜石を刃物にして料理をしていました。「石器時代」から「鉄器時代」へという世界史上の大変革に乗り遅れてしまった要因のひとつは、石器の素材に恵まれすぎていたからだと思います。

――日本でキャッシュレスが進まないのは、お札の完成度が高すぎて、偽札が少ないからといわれます。現状で満足していると新しい技術を取り入れるのが遅れがちで、一長一短な部分はありますね。

蒲池:弥生時代、日本列島でも輸入された鉄が使われるようになりますが、製鉄技術の定着はずっと遅く、鉄を自給自足できるようになったのは古墳時代の6世紀頃です。世界の潮流から2000~3000年ほど遅れたわけです。旧石器時代、縄文時代の暮らしの物質的な水準はきわめて貧しいものですが、その生活様式は日本の気候や風土に合っていて、争いごとやストレスの少ない、ある意味では恵まれた時代だったのかもしれません。

温泉があったから信仰が生まれた?

――日本は地球の活動によって生み出された恵みによって、文化が形成されているといえますね。

蒲池:日本の経済や信仰は火山や断層など大地の歴史抜きには語れません。出雲の玉造温泉のそばにある山は勾玉の材料となる美しい石の産地であり、生産拠点でもありました。勾玉になる美しい石も、太古の火山活動にともない形成されたものです。特に赤瑪瑙(アカメノウ)は出雲にしかない石で物凄い希少価値があった。民俗学的な研究では、出雲大社の主祭神であるオオクニヌシは、もともとは美しい玉をシンボライズした神だったという説があります。

――そんな説があるんですね。

蒲池:また、多くの温泉地に温泉神社があり、オオクニヌシとスクナヒコナの二神が温泉を与えてくれたと伝わっていますが、出雲大社が発信する物語では、オオクニヌシと温泉を結び付けて語ることが意外に少ないという印象もあります。

――それも不思議な話です。

蒲池:温泉は日本だと俗っぽくなりすぎて、今の世の中では信仰と結びつきにくくなっているのかもしれません。『出雲国風土記』にも川辺に自然湧出する温泉があり、美容と健康の効果が著しいので「神の湯」と呼ばれていると書かれています。現在の玉造温泉のことです。そこは出雲大社の宮司が代替わりのたびに、潔斎のために籠もる神聖な温泉でもありました。

――温泉があったからこそ、出雲、諏訪、熊野が聖地になった可能性がありますね。

蒲池:神社よりも温泉が先だと思いますね。諏訪大社のある諏訪地方はものすごい湯量を誇る温泉地帯でもあります。熊野本宮大社はかなり山の上にありますが、近くの温泉街では90度以上の温泉が湧き出ている。考古学的には確かめがたいことですが、出雲、熊野、諏訪の自然湧出する温泉は、旧石器、縄文時代から人びとの暮らしに定着していたのではないでしょうか。地中から熱いお湯が湧き出て、それが疲ればかりか病気や傷を癒す効果をもっている。考えてみるとこれは何とも神秘的な現象です。そこに素朴な信仰が生まれ、神社が創建され、のちにいろいろな由緒が語られ、聖地化していったと考えたいのです。

諏訪湖間欠泉

神社のルーツを縄文時代に探る

――神道は国土の7割が森林であり、火山大国である日本だからこそ生まれた信仰といえそうです。

蒲池:縄文時代からのそれぞれの土地の歴史や文化は、神社の歴史とつながる可能性があると思います。火山も自然湧出する温泉も人間の歴史よりはるかに古い歴史があるのだし、地域の風土と豊かさの象徴。それと神社が結びつくのはきわめて自然なことだと思います。

恐山霊場

――そこが仏教とは異なる部分ですし、神道が他の宗教と違う要素だと思います。

蒲池:神道はそれだけ土着の文化や歴史を背負っているといえ、そこに大きな価値があると思いますし、どんな小さな神社でも人々が長い間守ってきたものです。それぞれの神社の歴史を注意深く調べてみると、創建された年代をはるかにさかのぼる、悠久の地質学的時間が見えてくるかもしれません。熊野信仰において、もっともクリアーに言えることですが、人智を超えた驚異の風景を目にした古代の人々は、そこに「神」としか呼びようのない何かを感じたのだと思います。歴史の事実を調べつつ、空想と妄想をフル稼働すれば、より神社巡りが楽しめるはずですし、地域の再発見にも繋がります。神社をめぐる歴史と地学のそうした魅力を今回の本の中にまとめたつもりです。

■書籍情報
『火山と断層から見えた神社のはじまり』
著者:蒲池 明弘
価格:847円
発売日:2024年5月15日
出版社:双葉社

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