中山秀征、テレビでの失敗と未来への提言「沢尻エリカさんに何も通じなかったことは今も反省している」
■沢尻エリカさんには自分の引き出しが何も通じなかった
――本書では、「失敗」事例として「『ラジかるッ』事件」とも言われる沢尻エリカさんとのエピソードを回顧されていました。2007年に中山さんがMCの番組『ラジかるッ』に沢尻さんがゲストとして登場したものの、終始不機嫌な態度を貫き、全然喋らなかった...。その事件については「不機嫌な相手を不機嫌なまま帰らせてしまった自分の腕のなさ」を悔いていましたね。
中山:その時の状況は本書で詳しく書きましたが、本番中はすごく悩みました。どんな質問をしてもダメ。それまでは「相手をノセるのが上手い」と言われたり、テレビではほとんど話さない人でも「ヒデちゃんの番組ではしゃべっちゃったよ」という言葉をたくさんいただいたりしてきたので、自分にも多少の自信とおごりがあったと思うんです。
ちょうどあの頃、沢尻さんは「エリカ様」と言われていて、トーク相手としては難しい。そういう時こそ、僕は「望むところだ!」と燃えるわけですよ。ワクワクしてその日を待っていたのですが、ひとつ前の番組に出た時、すでにご機嫌があまりよろしくないという空気があった。なので、このスタジオに来るか、来ないかの心配がスタッフ全員にあったんです。本当に嫌なら来ないだろうけど、来たらこっちのもんだと思って。
ところが、沢尻さんはスタジオに入ってきて特に挨拶もなければ、無言で座ったまま番組が始まった。ここで思ったのは、昔のアイドルたちとは違う人だなということでした。たとえ直前まで袖で暴れていても、本番になったら笑顔全開で、裏の顔を見せないのが当時のスターだったけど、彼女はその日の気分をそのまま全開で見せるという新しいパターンだったんです。
――今から17年ほど前のことですが、あの時のヒリついた空気感と、中山さんが何とか話を引き出そうとしていた姿は今でも覚えています。
中山:僕の頭の中では「自分はこうあるべきだ」というのは全部ないんですよ。とはいえ、それに対しての引き出しが全くなかった。そのことに焦りましたね。そんな状況のまま10分15分と過ぎて、彼女をノセることもできず、話が弾むこともなく、番組があげたストラップもその場に置いていかれた。結局何もできないまま終わってしまったことは今でも反省していますが、その翌日の舞台挨拶での「別に」発言に繋がるトスをキレイに上げたなという感じでしょうかね(笑)。
――もしも今、同じ状況をやり直せるとしたら?
中山: 違うアプローチでやってみたら面白い構図が生まれたかもしれないなと思います。例えば「話さない」というやり方もあって。ラジオだったら事故になりますけど、テレビは映像が流れていればいいわけですから。もしくは、逆に僕が強く出て「なんだその態度は!」と上段の構えで隙を狙って攻めていたら、違う何かが生まれたのか、生まれなかったのか、もしくはもっと大惨事が起きたのか(笑)。
自分では一生懸命やったつもりだけど、あくまでも「つもり」。満足できなかったのは僕自身なんですよね。僕の中に一つのパターンの完成形があったけど、そのパターンでは通用しない、覆せない人がいるということが知れて、いい勉強になりました。
――そんな風にネガティブな要素やワードをポジティブに変換し、批判も前向きにとらえる姿勢は見習いたいですが、時にしんどいこともあるのでは?
中山:前向きに捉えて考えた方が乗り越えやすいんですよ。否定的な声をそのまま鵜呑みにすると、言った方はそこまで思っていないのに自分でそれを超えてしまうことがあります。別にその人が自分の人生にとって深く関係があるわけじゃないし、きっと何気なく言ったであろうことを真に受けて傷ついたって何も得がないじゃないですか。だから得がないことはしないんです。
――今はインターネット上で人を傷つける誹謗中傷が問題になっています。
中山:以前、ナンシー関さんから痛烈な批判をいただいたエピソードを本書でも書きましたが、あれは僕のことをよく見ていてくれたから出てきたものなんですよね。例えば、もしこの本を読んだうえで「なんだあの本は」というご批判をいただくのはいいけど、読んでもいないのに「あんなものは」って文句をつけられたら嫌ですよね。そういう人は、相手にする必要はないです。
今の時代、インターネットやSNSの普及でなんでも目に入ってしまうから、それを見て気になることもあるでしょうし、それで傷つく人もいますから、僕は批判するなら意味のあることを書くべきだと思っています。
――最後の章で「『テレビバカ』が『ときめく』場所を作りたい」と書かれています。
中山さんは今、どんなところに「ときめき」を感じていますか。
中山:自分の中では「キラキラ」がときめきなのかもしれません。僕が子どもの頃「笑っていいとも」や「徹子の部屋」を見て、アイドルやスターが出ているとキラキラしていたんです。「キラキラしている」というのは見ている人たちが決めることなんだけど、出ている人たちもそう思ってやらないとダメだと思うんですよね。
それに、出ている人がキラキラしているなと思える、憧れられるような番組を作っていかないと、次の世代の人たちがテレビに出たいと思わなくなるし、そこにエネルギーがいかなくなってしまう。なんとなくテレビに出るような人が増えてしまうと、その憧れがなくなって、キラキラが薄れてしまうんじゃないかと懸念しています。
――どんな番組でも、出演している人たちが心から楽しんでいるのかどうか、こちらにもよく伝わってきます。
中山:人柄と一緒で、どんなに繕っても画面越しに伝わるし、そこにキラキラも映る。だからテレビというのは怖いんです。僕はニュースでもドラマでも「ときめきよ、どうぞ映ってくれ!」と願いながら、それが伝わってくれたらいいなと思って常にテレビ作りをしています。
テレビを商いにしているのに「テレビが面白くなくなった」と言う人が僕にはよく分からないんです。作る側が「今のテレビってこんなもんですよ」と思いながらやっていたら、悪いところしか出てこないですよ。そう思うのなら辞めるべきだし、出ない方がテレビのためだなと思います。テレビを作っている人たちがそういう気持ちになるのが一番寂しいですね。