『小説版 ゴジラ-1.0』にあふれる山崎貴監督テイスト 独特の文体を精読して見えてきたものとは?

■普通の小説よりも説明の過剰さが山崎監督らしさ

  どうだろうか。「どす黒い感情に火をつけてしまった」とか「呪詛のように」とか、普通の小説よりも説明過剰な感じがしないだろうか。復員兵からすればキツい言われようなのは、セリフだけ見ていても読者には充分伝わると思う。また、やり取りの中から敷島や澄子の感情の機微を想像して噛み締めるのも、小説を読むおもしろさだろう。しかし山崎監督は、先回りして事細かに登場人物の気持ちや精神状態を書いてしまう。小説というより、ト書き付きの脚本を膨らませて、通して読めるように加工したものという感じが強い。

  この説明過剰な雰囲気こそ、山崎監督作品の味である。『ドラえもん』から『ゴジラ』まで、どんな題材を映画にしても共通して感じられるあのテイスト。カレー粉をかければなんでもカレー味になるように、どんなネタでも山崎作品にしてしまう魔法のフレーバーだ。少なくとも多少文筆に覚えのある人間がゴーストライターをやっていたら、ここまで山崎テイスト剥き出しにはならないのではないか。これが「山崎監督作品のノベライズは、おそらくマジで山崎監督本人が書いている」と推測する根拠だ。全部を読んだわけではないので断言はできないが、少なくとも『ゴジラ-1.0』のノベライズに関しては、山崎監督本人が書いているに違いない。

  小説としては説明過剰なノベライズ版『ゴジラ-1.0』だが、思わぬ効用もある。映画の中で、主人公の敷島が普通に喋っていたと思ったら、次の瞬間に突然ブチギレるシーンがちょいちょいあった。敷島は普段周囲の人に対して敬語で喋っているのだが、キレるシーンでは突然口調が荒くなる。演じる神木隆之介の表情の変化も相まって、特攻帰りの敷島という人物の危なっかしい感じがよく出ていた。反面、見ているこっちからすると「なんとなく理屈はわかるけど、しかし脈絡なくいきなりキレているようにも見える」というシーンもあった。

  が、この小説版を読めば、なんで敷島がいきなりキレたのか完全に理解できる。なんせ登場人物の心理が、作品の監督によって全部詳細に説明されているのだ。みんなで酒を飲んでいるシーンで敷島がいきなり激怒したのは、いったい誰のどのセリフに反応したものだったのか、はっきりと理解できる。漠然と「特攻にも行かず、呉爾羅も討ち漏らして大戸島も壊滅させ、それなのに生き残って幸せに世帯を持つことなんてできない」という引け目があるからキレてるんだろうなあ……と思っていたのが、山崎監督の手で答え合わせしてもらえるのである。『ゴジラ-1.0』の登場人物の心理的機微がよくわからなかった人にとって、必携の一冊と言える。

  さらに、劇中ではちょっと匂わせる程度だったゴジラの生態やゴジラ化の経緯について説明されているのも、見逃せない点だろう。特に「へえ〜!」と思った点としては、『-1.0』版ゴジラの特徴でもある放射熱線発射時に背ビレが伸縮する動きを「インプロージョン方式の原子爆弾を思わせる」と書いている点だ。あれって爆縮レンズだったのか……。背ビレの伸縮と爆縮レンズに関しては山崎監督のインタビューなどでたびたび語られているようだが、自分はこのノベライズで初めて知った。それ以外にも映画のラストカットに関する説明など、ゴジラに関する記述で「そうなんだ……」「予想はしてたけど、そこは断言しちゃっていいんだ……」となるポイントは多い。

 というわけで、良くも悪くも山崎貴テイストを味わえる『小説版 ゴジラ-1.0』。配信で初めて映画を見たものの、「あれって結局どういうことだったの?」という疑問が湧いてしまったという人には、副読本としてぜひオススメしたい内容となっている。また、濃厚な貴テイストを味わいたいというマニアが読んでも、しっかり楽しめるはずだ。

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