雅な平安王朝の裏で、武士たちが暴力で支配する世界があった 歴史学者が読み解く、血みどろの『源氏物語』

キャラクターがいまひとつ見えない貴族たち

――ちなみに本書では、そういった武士たちによる「血みどろの暴力の世界」と、仮名文学に代表されるような「王朝絵巻の世界」を繋ぐキーパーソンとして、藤原道長が登場します。『光る君へ』では柄本佑さんが演じている道長とは、一体どんな人物だったのでしょう?

桃崎:人柄に関しては不明なところが多いです。道長が書いた『御堂関白記』というものが残っているものの、日記を真面目に書くタイプではなかった。漢文の文法もめちゃくちゃだし、どこか書きなぐったような感じがある。それは、道長の直系である近衛家の人たちにも共通していて、彼らは代々日記を書くのですが、1日3行以上は書かない日が極めて多いんです(笑)。最高権力者として、日記を書く責務はあるのですが、細かいことを書くのは自分の仕事じゃないというか、1日3行ぐらいしか日記を書けない。それに比べると、権力の中枢にいない藤原実資が書いた『小右記』などは、実に詳細に書かれています。

――『光る君へ』では、ロバートの秋山竜次さんが演じている「藤原実資」ですね。

桃崎:彼は権力の主流ではない分、自分の存在価値を自分で証明しないといけないので、すごく真面目に日記を書いていたのではないでしょうか。逆に言うと、本当の権力者は敢えて日記を詳細に書かないところがあるというか、それを書くのは下々の者であって、その人たちが頑張って書けばいいみたいなところがあるのかもしれません(笑)。

――「この世をば……」から始まる道長の有名な「望月の歌」も、『御堂関白記』ではなく、実は『小右記』に書かれていたわけですよね。

桃崎:そうなんです。だから、道長自身の人柄はなかなか見えないところがある。私たちは『小右記』などから道長像を組み立てるのですが、実資は道長に対して批判的な人間ですから、彼の日記だけを読んでも道長像は導けない。キャラクターがいまひとつ見えないというのは、この時代の貴族の特色のひとつでもあります。

――というと?

桃崎:彼らはいろんな側面を持っていて、仮名文学とかの世界に出てくる貴族たちと、仕事の現場に出てくる貴族たちが、本当に同じ人格なのかっていうぐらいキャラクターが違っていたりするんです。演じ分けていたのかもしれないし、仕事とプライベートでは人格が違うのかもしれない。ただ、院政期以降はそれぞれの個性みたいなものが、もろに出てくるようになります。

  それこそ、白河院がどんな人物だったのかは、想像するのにあまり苦労しません。対して、道長とその息子である頼通はいまひとつ人格が見えない。まあ、道長自身が自分の力で政権を奪い取った人物ではないというか、道隆をはじめ、兄たちがバタバタと死んでいったから自分が権力者になったけど、彼が政治家として何かすぐれたことをしたかというと、実はそうでもないような気がしています。

――娘をたくさんつくって、次々入内させていったことぐらい?

桃崎:そうかもしれません(笑)。この時代の政治で権力を持つということは、娘をたくさんつくって天皇に嫁がせて、皇子を生ませることなんですよね。確かにそれも政治には違いないのですが、その後、鎌倉・室町・戦国における丁々発止の政治を見たときに、果たして道長たちのしたことを〝政治〟と呼んでいいのだろうか、という疑問はあります。もちろん、その裏では陰険な策謀はありますよ。花山天皇を無理やり出家させたり(寛和の変/986年)とか、その後、花山法皇を矢で襲撃したり(長徳の変/995年)とか、おかしな事件も起こりましたが、事件のスケールがいちいち小さいんです。

――確かに全部、朝廷内の話というか……。

桃崎:そうなんです。「応天門の変(866年)」だって、門がひとつ焼けただけだし、「安和の変(969年)」も、単なる疑獄事件です。あの時代で、大した事件と言えるのは、それこそ平将門の乱と藤原純友の乱――いわゆる承平天慶の乱ぐらいなんです。だからこそ、それらの乱でひとつ時代が進んだとも言えるわけですが、いずれにせよ摂関政治の最盛期の貴族たちのことはいまひとつわからない。私が思うに、結局そこにあるのは政治ではなく「ガチャ」なんですよね。

――「ガチャ」ですか?

桃崎:自分に子どもをつくる能力があるかどうか、生まれてくる子どもが娘なのか、その娘が皇室に嫁入りできるか、嫁いだ皇族が天皇になれるのか……結局全部、運頼みのところがあるじゃないですか。それはある意味、「ガチャ」のようなもので、中世のような本物の政治ではない。中世の政治では、人と人がもっと濃密にぶつかり合う、駆け引きの迫力があるんです。その選択と結末に、重さがあるというか。けれども、摂関政治の場合はそういうものがあまりないんです。

天皇にとって何者かがアイデンティティだった時代

――むしろ、その周辺にいた武士たちのほうが日々、政治や駆け引きを行っていた?

桃崎:はい。だからこそ、中世が武士の時代になるのは、ある意味必然だったのだと思います。朝廷の最上層にいる人たちが政治と言えることをしていない裏で、武士たちは自らの生死を賭けて、それこそ生き馬の目を抜くような政治を日々こなし、生き残ってきた。そのため政治力が段違いというか、この両者がネゴシエーションしたときに、朝廷側が相手にならないんです。そうして武士が次第に力をつけていき、「保元の乱(1156年)」とか「平治の乱(1159年)」でいよいよ歴史の表舞台に出てきて、そこから平清盛みたいな人が現れたときに、それに立ち向かう術が朝廷にあったかというと、やっぱりなかったわけです。

――とはいえ、そこで朝廷が滅びなかったのが、ちょっと面白いなと思っています。

桃崎:それについては、私も前著と合わせていろいろ考えたのですが、武士というのは古代の要素を何ひとつ否定してないんです。天皇は邪魔だから王家を滅ぼそう、などという形で古代の要素を排除していない。古代の要素を温存した上で、王臣子孫と武人輩出氏族と地方豪族を組み合わせてみたら、「武士」というものすごいものが生まれてしまった。何ひとつ滅ぼしていないというのは、武士を理解する上で大事なポイントです。

――なるほど。

桃崎:武士は既存の社会と、その構成要素は全部温存しています。朝廷も天皇も、寺社も荘園も、所領制度も何ひとつ壊すことなく、国司というものすら否定することなく、その中でどうやって権力を侵食していくのかが、武士の成立そのものです。前の時代を否定しないところが、武士の大きな特色とさえ言えます。

――そもそも彼らは、地方の山賊のような者たちではなく、清和源氏だったり桓武平氏だったりと、もとを正せば天皇の血筋の者たちだったわけですしね。

桃崎:そうなんです。もともと同じ世界の人間なので、その発想がなかったのかもしれません。既にある世界の中で、自分たちの取り分をどうやって増やそうかと考えながら生きてきた人たちで、新しい何かを生み出すということを実はあまりしていません。

――そのあたりが大陸とは違いますね。

桃崎:その通りです。たとえば中国の場合、異民族が襲ってきて、漢人の王朝を滅ぼします。日清戦争の清だってそうだし、元だってそうだし、隋とか唐だって、実は鮮卑の血を引いています。中国の場合はやたらと外来者がやってくるから、それまであった制度や文化のうち、少なくとも一部を容赦なく滅ぼしてしまう。でも日本の場合は、そういうことは起こらなくて、あくまでも内部から出てきて、次第に乗っ取っていく感じなんです。たとえは悪いですけど、寄生虫がいかに宿主を乗っ取るかという話であって、宿主を殺すという選択肢がない。

――宿主を殺してしまったら、自分たちの実存も成り立たなくなってしまうわけで……。

桃崎:そういうことだと思うんです。いかにこの宿主から養分を吸い取り、自分たちの思うようにコントロールするかという発想。身体そのものを崩壊させるわけにはいかないんです。身体をゼロから作るのは大変ですから。武士が朝廷を滅ぼさなかった理由のひとつは、朝廷のような巨大で複雑な組織を、ゼロからデザインする時間が無かったというのもあると思います。

 たとえば、鎌倉幕府が300年続いたら、朝廷のような組織を作れた可能性があるんですけれど、それでもやっぱり時間が足りなかったでしょう。室町幕府も、将軍が権力を握ってからそれを失うまでに、半世紀ぐらいしかなかった。徳川幕府は、比較的それをやり遂げました。徳川幕府はかなり複雑な組織だったというか、武士による官僚制としてはひとつの完成形だと思います。

――巨大で複雑な組織を構築するには長い年月もまた必要なんですね。

桃崎:あと、もうひとつ大事なことは、この時代の人たちは武士も含めて、そのアイデンティティというか、価値観の物差しが天皇だったということです。要は「あなたは天皇にとって、何者ですか?」というのがアイデンティティの測り方だった。たとえば今、こうして話している我々の関係は、我々同士では測ることができないけど、お互いが天皇から見てどういう距離感にいるかがわかれば、ここにいる人間の関係がわかるんです。

   だから官位というものは廃れなかった。あの時代の官職や官位というのは、見知らぬ人間が同じ場に居合わせたとき、その序列や関係を理解するためのものでもあったんです。天皇というのはひとつの座標系における動かぬ原点として絶対に必要でした。それを清算してゼロから新しいものを作るのには、すさまじい時間と労力が必要で、武士はめんどくさいからやらないわけです(笑)。

――となると、いわゆる有職故実(朝廷や武家の伝来の儀式など)も、やっぱり大事なんですね。

桃崎:大事であり、しかもそれを維持するのはものすごく大変でした。だからこそ、武士はメンテナンス要員として貴族や公家社会を温存するんです。実際、貴族たちはそれを喜んでやるし、武士はそれをやらなくていいから、お互いウィンウィンと言えばウィンウィンの関係だったといえるでしょう(笑)。

――なるほど(笑)。

桃崎:その辺がやはり、中国とは違っています。中国は王朝が滅びるので、いちいち座標系がブレるんです。でも日本は、わかっている歴史の範囲では王朝が変わったことはないので座標系がブレていない。その歴史的背景があるからこそ、中国人と日本人では社会関係の作り方が根本的に違うような気もします。いざとなったら座標系をひっくり返してしまえばいいと考える中国人と、この座標系は動かないという大前提で、どう生きて行こうか考える日本人。我々が思っている以上に、中国人にとって社会というものは不安定なものなのだと思います。それに比べて私たち日本人は、長い歴史を通じてそう簡単にはひっくり返らない足場の上で生きてきた。その感覚はひょっとすると今の日本人のあいだにも、どこか通じるものがあるかもしれません。

■書籍情報
『平安王朝と源平武士 ─力と血統でつかみ取る適者生存』
著者:桃崎 有一郎
価格:1,320円(税込)
発売日:4月8日
出版社:筑摩書房

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