人類はなぜ太古の昔から「儀式」を行なってきたのか? 人類学者がその効能に迫る
博士号を取得した後、著者は宗教心理学の研究者と生物工学専門の大学院生とチームを組み、火渡りがこのような感覚を生み出すメカニズムについて研究する。祭りの行われるタイミングでサン・ペドロを再訪し、調査を開始。火渡りをする人たちと見物する人たちに、心拍モニターを装着の上で祭りに参加してもらう。そのデータを後日解析してみると、彼らの心拍パターンは火渡りの間、不思議なほど同調していた。しかも、地元の人同士や血縁者といった密な関係であるほど、心拍の近い結果が出ている。火渡りは参加者の感情のつながりや一体感を強める効果のあることが、数値上でも明らかとなったのだ。
近年、こうした科学的な手法での儀式にまつわる研究が進んでいるという。たとえば、結婚式で式が始まる前と誓いの言葉の直後に、出席者の血液を採取し、神経ホルモン「オキシトシン」の値に与える影響を測った実験。女性がダンスする動画をアバター化し、どの動きに魅力を感じるか個人の特徴がわからない状態で200人に評価してもらう、求愛の儀式にも関連した実験。自らの体に針を突き刺した状態で供物を運ぶ、ヒンドゥー教の儀式「タイプーサム・カヴァディ」。その参加者の皮膚伝導と健康状態を記録し、苦痛と心理的な健康の相関関係を調べた実験などなど。本書では著者以外の研究者によるものも含めた、ユニークな調査とその結果が紹介されている。
儀式には何らかの意義と効能がある。そうわかると逆に、目的や効果を明確に意識しないまま、時に祈り、時に体を痛めつけ、リモートだろうと儀式を続けてきた人類が、より不可思議な存在に見えてくる(ただし、「儀式に効果があるはず」と思い込みすぎることの危険性についても本書では触れられている)。この感覚も本書を読んでもらえれば共有できるはず……って、読書も儀式の一種なのではないか?読後はあらゆる物事を儀式と結びつけたくなり、その度に著者のこの言葉を思いだす。〈私たちは儀式的な種なのだ〉。